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浄土真宗の信心についての問答

自力

「私は今まで「雑行雑修自力の心をふりすてて」はある程度までは自力の作業だと思っておりました。」(猿松さんのコメントより)

猿松 2018/12/03 14:03 (略) 私は今まで「雑行雑修自力の心をふりすてて」はある程度までは自力の作業だと思っておりました。 つまり「九十五種の邪道を出でて」「聖道門を閣きて」「雑行を抛てて」「助業を傍らにして」と、段階を経て先鋭化していって「…

「救いに必要のない『私』を捨てよと阿弥陀仏は言われていますの言い回しは、たとえば『救いに必要のない「私」は捨てものだと阿弥陀仏は言われています』でないと、誤解のもとになるのではないでしょうか。(ループさんのコメント)

前回のエントリー(「信じる」こともできず、また「自力を捨てる」こともできない者が、「『ただ今救うぞ』という阿弥陀仏の仰せを受け入れること」はできるということでしょうか?(ループさんのコメントより) - 安心問答(浄土真宗の信心について))への…

「信じる」こともできず、また「自力を捨てる」こともできない者が、「『ただ今救うぞ』という阿弥陀仏の仰せを受け入れること」はできるということでしょうか?(ループさんのコメントより)

ループさん、ventureさんから前回のエントリーについてコメントを頂きました。お尋ねのあった部分について書きます。 ループ 2013/09/01 16:36 お答え頂き有難うございます。>他力の信心と言われるものは、阿弥陀仏の仰せを受け入れただけです。「信じる」…

自力を捨てよとは「無理とわかり切っていることをすすめられるものでしょうか」(ループさんのコメントより)

ループ 2013/08/30 20:45 お答え頂き有難うございました。 南無阿弥陀仏は >「めでとうしなして」をせずに、ただちに来れという意味になります。 とのお答えです。しかし、片や南無阿弥陀仏とは >救いに必要のない「私」を捨てよ ということだと仰る。矛盾…

救いに必要のない「私」と、自力を捨てるのは「私」の仕事ではないの「私」について(ループさんのコメント)

前日のエントリーに頂いたコメントについて書きます。 ループ 2013/08/30 02:44 お聞きいたします。 >救いに必要のない「私」を捨てよと阿弥陀仏は言われています。これはどの経文のことを仰っておられるのでしょうか。 ここで仰った「私」と、>どれだけ「…

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問)2_自力はどれだけ捨てようとしても自力になる理由

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 信心に対する「疑い」について、前回に引き続き書きます。疑いについて、別の言葉でよく使われるのが「自力心」または「自力の心」です。 横超とは、本願…

南無阿弥陀仏があるから私は大丈夫だと自分を安心させようとする心について(頂いた質問)

今私の心に現れてくださる南無阿弥陀仏があるから私は大丈夫だと自分の心を安心させようとしている心があることに気がつきました。(略)自分は法話を縁にして聞いた通りの救いの世界をまた作り上げていました。(頂いた質問) 自分の心で南無阿弥陀仏をあて…

自力の行信は何ですか?(でんさんのコメント)

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 他力の行信については度々お話を伺っていますが、自力の行信が何か分かりません。 もしかして、他力を願いながらも自力を捨てきれない、今の私の状態を指してるのでしょうか。(でんさんのコメン…

「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善」はそんなに大事なお言葉なんですか?(4月3日親鸞会二千畳座談会参加者より)

4月3日親鸞会館二千畳座談会参加者から頂いた質問です。 座談会は「八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり」の部分についての話でした。 親鸞会館の二千畳座談会は、過去1年以上、10数回はこの一念多念証文のお言葉についての話が続いています。…

獲信した人は皆さん『機の深信』だけはハッキリするのでしょうか?(さくらもちさんのコメント)

さくらもちさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私の周囲の獲信者は、『機の深信』が立っているのだけは自分でハッキリわかるようです。 「こんな大きな後生の問題、自分の力ではどうすることもできない・・・という事だけはわかった。」…

「そのまま」といわれても理性で堂々巡り(メンデルさんのコメント)

メンデルさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (略)「今日こそは、信じよう、称えよう、いただこう、よろこぼう」の心はすべて計らいであると。でも、知識や理性でものごとを判断しているのが自分なのであって、どんなときも、知識や理性…

わが身をたのむのが自力です(おしゃまさん、YGMさんのコメント)

おしゃまさん、YGMさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (信心決定なんかそんなに簡単にできることではない。でも、何十年かかっても求め抜こう。) こう思う心は、「必ずただ今救うぞ」という阿弥陀仏の本願を否定している心なのですね?…

他力の信心は私のものではありません(Rudelさんのコメント)

Rudelさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 (自分が)助かりたい」という前提で仏法聞いているので、「助かるとか、助からないとか、往生出来るとか出来ないとかは、全部南無阿弥陀仏の受け持ち」と言われると、困ってしまいます。阿弥陀…

そのままとは、きいたそのまま。補足2

聞いたそのままの、補足エントリーその2です。他力の信心は、本願を聞いたそのままということについて書いてきましたが、その補足です。他力の信心は、聞いたそのままということは、別の言葉で言いますと、他力の信心は、そのものがらが私にないということ…

もがくのも、もがかないのも方法論なので離れるのです(MMAさんのコメント)

MMAさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「自力では助からないから自力を捨てなさい」と教えて戴いていますが、自力を捨てようとする心も自力であり、どれだけもがいても自力は自力で堂々巡りをするばかりです。 そしてその自力は阿弥陀仏…

自分を入れる分だけ遠くなるのが他力です(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 少し考えてみました。 次の3通りがあると考えます。 (1)ただ今阿弥陀仏に救われる(弥陀をたのむ、弥陀まかせ、他力) (2)今は救われないが、何かしたらあるいは何かしていくと救われる(努力…

どうしたら助かるかよりも、なぜ助からないかが大事(ひろしさんのコメント)

ひろしさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 今私が自覚する自力の心とは阿弥陀仏の本願に底を入れる心。 こんな私が助かるのだろうか、と思う心。 簡単に救われるならば、頂く信心が安っぽく思える心。 体や口では阿弥陀仏に向いているが…

善ができると思う心と、善を往生の足しにしようとする心(ひろしさんのコメント)

ひろしさんより質問に重ねてコメント頂き有り難うございました。 返答が遅くなりました。 確かにライフセイバーと阿弥陀仏は違うので、譬えは不適切だったと思います。 善が出来るとバタバタしている姿を譬えようと思いました。 善が出来るとバタバタしてい…

阿弥陀仏は石像でも木像でもありません(頂いた質問)

2009-11-12 分かるか分からないかで救いをはかるのが、仏智の不思議を疑うこと(頂いた質問) 問答いつまでたっても助からないと,「自分だけ本願から除かれているのではないか」「私は助からないのではないか」「弥陀の本願,本当なのだろうか」という心が…

行者からは不回向が阿弥陀仏の本願(Kさんのコメント)

「もっと○○したら」ではないということは分かります。そういうことが思われてきたときは、 「でもそれも自力だからやめておこう」というように思います。更に「だからやめておこう」というのもまた それによって助かろうとする心で「それもダメなのか」と気…

「もっと」の思いが有るか無いかよりも差しだそうとする心は不要です(おすぎさんのコメント)

おすぎさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ただ今救われる と教えて頂いてもなかなか救われません。時間が経てば経つほど 焦る心が出て 言い訳する心で一杯になります。阿弥陀仏の本願に間違いはないのだから、自分の心がけに問題がある…

「布団は何枚もある」という布団一枚があるだけです(nowhereさんのコメント)

nowhereさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) この距離感の原因は本願に明らかです。すなわち「唯除五逆 誹謗正法」です。ただいま救う弥陀の心を遠ざけているのは、過去世からの私の作ってきた罪悪です。それが、今の私の心には…

ずっと続きません。必ず阿弥陀仏に救われることがあります(頂いた質問)

ただ、自力無功、他力回向、まかせる、これ一つと分かるのですが (略) 御文章(2帖目15通)に「されば「阿弥陀」といふ三字をば、をさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆゑなり。」 とありました。 まかせる まかせる まかせる まかせようとする…

自力を捨てて弥陀をたのむか、弥陀をたのみて自力を捨てるか(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 御文章に「雑行・雑修・自力の心を振り捨てて」とか「自力なんどいう悪き心を振り捨てて」などどあるので、阿弥陀仏の救いに預かろうとした時、どうして気になる言葉です。「救われるか、救われな…

「強く信じた者」しか救われないのではありません(nowhereさんのコメント)

nowheraさんよりコメントを頂きました。 (中略) 振り返ると、これまで多かれ少なかれ、阿弥陀仏を「感じ」ている部分があるように思います。むしろ「感じる」ことなしには、これまで求めては来れなかったように思います。「感じる」体験の数々が、私の求道…

「何か手立てを捜さずにはおれない自分」は変わるか?(最後の学徒さんのコメント)

最後の学徒さんよりコメントを頂きました。有り難うございました 「ただ今の救いであり、往生に役立つ者は何も無いと聞かされていても、何か手立てを捜さずにはおれない自分と知らされ、謗法の者と知らされ」たと表現された事と、やまもやまさんの自力の計ら…

一心一向に弥陀に帰命しなさいというしかないと思います(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 すみません、9/6のエントリーにコメントしてしまいましたが、タイミングから考えてその講師の方はそれより前のエントリーを読まれ全体的に見られて言われたと思います。善巧方便についてですが、…

同じ所をグルグル回る理由(Rudelさんのコメント)

Rudelさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「変わらないはずの自分の心を一生懸命変えようと頑張っていくと、阿弥陀仏の本願に心がかからなくなります」 「力んでみたり、もうわからんとなるのは、自分の心に振り回されているのです」 こ…

自力とは何か(papaさんのコメント)

意識を空から見た氷山の一角とすると、救われるとは氷山全体が認識できるようになる(私全体がわかる)のかと思っておりましたが、 そうではないようですね。 自己がはっきり認識できなくても救われるという理解でよろしいでしょうか? また意識=自力ではな…

阿弥陀仏に救われるとは、正解がわかることではありません(Kさん、Tさん、Rudelさんのコメント)

前回のエントリーに複数コメントを頂き有り難うございました。コメントに対してまとめてエントリーします。 確かに自力の心があるから救われないのですが、自力が何かを実感として分かられた上で「自分はどうすればいいのだろうか」という質問なのか、それと…