安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2010-01-01から1年間の記事一覧

念仏に「○○だから」といえば自力です(たきざわさんのコメント)

たきざわさんよりコメントをいただきました。ありがとうございました。 自力の信心でなんまんだぶつはありがたいないなぁーと喜んでいるいるのは悪いことなのでしょうか。 要するに我が身が真実信心ではないのにそれを気にすることもなく、南無阿弥陀仏に間…

真剣さや集中力と救いは関係ありません(おしゃまさんのコメント)

おしゃまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私はいつも(このまま聞法していけば、いつかは疑いなく本願を聞ける日が来るだろう。)と思っています。 だから、どちらかと言えば加点方式の考えでいると思うのですが・・・。 でも、その一…

これではだめだと合格ラインを引いても、阿弥陀仏の救いには関係ありません(おしゃまさんのコメント)

おしゃまさん、Rudelさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 Rudelさんの言われる通り自分の心の詮索をしないと、私の場合“法体づのり”になってしまうんです。 今日は御法話に参詣して来ました。 救いの法(南無阿弥陀仏)は、もう私に届い…

聞法はただ今聞いていること(おしゃまさんのコメント)

おしゃまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 救われる「道」はない・・・と言われても、何もしなくてもいいわけではありませんよね? “聞法する”という「道」はありますよね?(おしゃまさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya…

「念仏で助かる」について(ツリーさんのコメントより)

ツリーさんよりコメントを頂き有り難うございました。 しからば、「念仏で助かる」と言えば良い。どこそこの会長がどうの、だれそれがどうの、関係ない。 「念仏で助かる」と、言い切ればよいでは、ないかと。 「念仏で助かる」当たり前の事を言えばよい。(…

称名そのままが念仏である理由(でんさんのコメント)

称名そのままが念仏なのですか。 身に合掌、口に称名、意に念仏と聞いたことがありましたが、誤りかもしれません。 念じる事がよく解らない私にでも、称名で念仏できるように御育て頂けるのですね。(でんさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/2…

「念仏で助かる」は正しいのでしょうか?(ツリーさんのコメントより)

ツリーさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 >浄土真宗で念仏といえば、「称名念仏」のことをいわれます確かにそのように、書かれてある本もあります。では、「念仏で助かる」は正しいのでしょうか? もう少し説明頂けませんか?(ツリーさ…

念仏は何を念ずるのですか?(でんさんのコメント)

皆さんは分かっておられる様ですが、念仏がそもそも分からないのです。 念仏とは念ずる事の様ですが、何を念ずるのですか。 また、合掌や正座にも意味がございますか。(でんさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101205/1291541269#c12916726…

念仏が特段有り難いとも思いませんが?(ジーマさんのコメント)

時々念仏は出てきますが,特段有難いとも思いません。忘れてばかりで申し訳ないとも思いません。これではいけないのでしょうか。(ジーマさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101204/1291412572#c1291474217 ジーマさんよりコメントを頂きま…

念仏は救われるまで称えなくてもよいのでしょうか?(頂いた質問)

念仏は御恩報謝と聞きますが、そう聞くと救われるまでは称えなくてもよいように思いますが、いかがでしょうか?(頂いた質問) 念仏は、救われるまでは称えなくてもよいものでは有りません。 そのように思われるのも、御恩報謝の念仏という言葉が、念仏を称…

個人事業開業届けを出しました。

みなさんのご意見をいろいろいただき、考えた結果、屋号は「安心問答」にしました。 よろしくお願いいたします。

救われる「道」はありません(頂いた質問)

阿弥陀仏は本願を建てられ、救われる為の道を教えられたとあるところで聞きました。そうすると、その「道」を進まねばならないと思ってしまいます。(頂いた質問) 阿弥陀仏が本願を建てられたのは、私が生死を離れ浄土往生させる為でした。 しかし、どれだ…

救われる「道」はありません(頂いた質問)

阿弥陀仏は本願を建てられ、救われる為の道を教えられたとあるところで聞きました。そうすると、その「道」を進まねばならないと思ってしまいます。(頂いた質問) 阿弥陀仏が本願を建てられたのは、私が生死を離れ浄土往生させる為でした。 しかし、どれだ…

高森会長の説明責任について考える

先日、ある本を読み思うところがあったので、エントリーを書きます。 読んだ本は、「加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら」という本。加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら作者: 信田さよ子出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/03メディア…

凡夫が凡夫ではなく、凡夫が仏になるために聴聞するのですか?(頂いた質問)

凡夫が凡夫ではなく、凡夫が仏になるために聴聞すると言う人に会いました。これはどうなのでしょうか?(頂いた質問) 凡夫が生きている間に仏になるという意味でなら、浄土真宗とは異なる考えです。浄土真宗は、現生正定聚であって、仏になるのは、浄土往生…

聴聞の目的は凡夫になることでしょうか?(頂いた質問)

ある人から「聴聞の目的は凡夫になることだ」と聞いたのですが、私にはどういう意味かよく分かりませんでした。 聴聞というのは、何か目的があってするものなのでしょうか?(頂いた質問) 発言された方がどういう意図で言われたかはわかりません。 想像して…

救われるのに方角はあるのですか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるために、阿弥陀仏が示された方角があるとあるところで聞きました。そう聞くとどうしても、方角に向かって進まないと救われないような気がします。 阿弥陀仏は私たちに向かって救われる為の方角を示されたのでしょうか?(頂いた質問) 救…

追記・事業登録名称は一旦白紙に戻します。

※下記エントリーは、11月中に事業登録申請します。 - 安心問答(浄土真宗の信心について)に追記として書いたものです。事業登録する際の名称は、一旦白紙に戻します。 「21世紀の浄土真宗を考える会(山口)」にする予定というエントリーについて、いろい…

歎異抄第2条の「総じてもつて存知せざるなり」について考える

歎異抄第2条の中で、親鸞聖人が関東の同行に、「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。」と言われているところがあります。 以前、質問されたこともあったので、なぜそ…

正信偈の最初の二行について(片桐さんのコメント)

片桐さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私、親鸞会でしか正信偈の最初の2行の解説を聞いたことないのですが正しい解釈をわかりやすく教えてください。(片桐さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101108/1289215315#c1289…

救われるのにハードルは必要ですか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるには、高いハードルを越えていかねばならないと思っていました。また、活動上いろいろと高いハードルを設定されてそこを乗り越えようと頑張ってきました。正直、自分には超えられないハードルで落ち込んでいましたが、阿弥陀仏に救われる…

11月中に事業登録申請します。

名称は、「21世紀の浄土真宗を考える会(山口)」の予定です。登録が終わりましたら、またお知らせ致します。 よろしくお願い致します。 追記 (2010/11/17 18:02更新) 事業登録する際の名称は、一旦白紙に戻します。 「21世紀の浄土真宗を考える会(山口)…

雲をつかむような感じです(達男さんのコメント)

達男さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 また、黒ちゃんさん初めてコメントを頂きました。こちらこそよろしくお願いいたします。 (中略) 努力してそういう身になれるのならば、努力しがいがあるのですが、安心問答を読んでてても「本願…

化土往生はありえないでしょうか?(おさびしやまさんのコメント)

おさびしやまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。何でも思ったことはお尋ね下さい。 「おさびしやまさんがどういう方かは、分かりませんが、観無量寿経に説かれる諸行を実践して浄土往生を願ったり、阿弥陀経に説かれる一心不乱の自力称名…

死んだらどうなるのかについて(おさびしやまさんのコメント)

おさびしやまさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 死んだらどうなるのかという疑問は仏教を聞くきっかけにもなっていますから私も知りたいです。達男さんの「私は疑いが晴れないまま死んだらどうなるのか?」という質問に対して「阿弥陀仏…

「疑いが晴れないまま死んでしまうと、どうなる?」(達男さんのコメント)

達男さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 南無阿弥陀仏に対する疑いが晴れないまま死んでしまうと、どうなるのでしょうか? 無間地獄ですか?化土往生ですか?それとも、三悪道ですか?六道輪廻ですか?(達男さんのコメント) http://d.h…

「光明は分類できるのでしょうか?」(のぞみさんのコメント)

調熟の光明とか摂護の光明とかと言って分類できるのでしょうか。 もし、全く一緒ですと言われるのならば、全人類は、信前と信後に分ける必要もなくなってしまうのでは思うのです。(のぞみさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101023/1287821…

{問答]光明と名号について(ひかりさんのコメント)

ひかりさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 前回のエントリーで問われたことに対して答えにならないことを書いておりました。申し訳ございませんでした。 光明に分類があるという件については、当事者として区別ができるものではありませ…

光明は分類できるのでしょうか?(のぞみさんのコメント)

のぞみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 信前の私が今、安心問答で阿弥陀仏の本願を聞いて南無阿弥陀仏と称えているのも「阿弥陀仏のお働き」、そして信後の山も山さんが称えているのも「阿弥陀仏のお働き」ですよね。 「阿弥陀仏のお…

自力をすてる力は南無阿弥陀仏にそなわる?(でんさんのコメント)

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 しかし、自力を離れぬ者は救われぬ。自力を棄てる力(即ち他力)も南無阿弥陀仏に具わる、という理解でよろしいでしょうか。(でんさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101023/12878…