安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

救いに必要のない「私」と、自力を捨てるのは「私」の仕事ではないの「私」について(ループさんのコメント)

前日のエントリーに頂いたコメントについて書きます。

ループ 2013/08/30 02:44
お聞きいたします。
>救いに必要のない「私」を捨てよと阿弥陀仏は言われています。

これはどの経文のことを仰っておられるのでしょうか。
ここで仰った「私」と、

>どれだけ「私」を「めでとうしなして」も自力にかわりはありません。その「私」「自力」を捨てるのは「私」の仕事ではありません。南無阿弥陀仏のお働きにより救われるのです

で仰った「私」とは、異なるのでしょうか。
「私」=「自力」の廃捨から解放されたかと思えば、また「私」を捨てよ では逆戻りした心地になります。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130829/1377768695#c1377798258

最初の

>救いに必要のない「私」を捨てよと阿弥陀仏は言われています。

これはどの経文のことを仰っておられるのでしょうか。

について

経文で言えば、南無阿弥陀仏のことです。
南無阿弥陀仏については親鸞聖人が

ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。(教行信証行巻_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P170)

http://goo.gl/0SLPy

と言われています。

阿弥陀仏が、「われに帰せよと命じる如来のよびごえ」が南無阿弥陀仏です。その南無阿弥陀仏のこころについて、善導大師はまた、二河白道の譬に以下のように言われています。

また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(教行信証信巻_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P224)

http://goo.gl/DWjLs

前回のエントリーの内容からいえば「めでとうしなして」をせずに、ただちに来れという意味になります。ですから、「自力を捨てよ」の仰せとなります。

そこで

ここで仰った「私」と、

>どれだけ「私」を「めでとうしなして」も自力にかわりはありません。その「私」「自力」を捨てるのは「私」の仕事ではありません。南無阿弥陀仏のお働きにより救われるのです

で仰った「私」とは、異なるのでしょうか。

について書きます。


最初の「救いに必要のない私」とは、「私の行為」であり、また「私の行為を足しにして助かろうとする思い」「自力」のことです。
後半の「私の仕事ではなかった」という「私」は、自力が廃った上での「私」ですから、「私の行為」「私の行為を足しにしようとする思い」「自力」ではありません。


言葉を変えると「助かろうとする私」ではなく、「阿弥陀仏から助けられる私」という意味です。自分の目から見た自分ではなく、阿弥陀仏からご覧になった私の姿を「私」といっています。信心ということでいえば、そこには私はなく、ただ南無阿弥陀仏のお働きがあるだけです。「助かろうとする私」はそこにはなく、「私を助けようというお働き」である南無阿弥陀仏があるだけです。


このエントリー投稿時点でのみなさんのコメント

しかばね 2013/08/30 11:23
私は今まで、先生達やお同行さん方から、
「自力の心は放っておけ、本願を聞け。」
「自力の心は相手にするな、本願に向かえ。」と教えて頂いてきました。

今振り返っても「自力」で「自力」は廃らないので、そういうふうに指導してもらえて良かったと思います。

「自力の心」を全部取り払える力があるのは、阿弥陀様だけなのです。


ループ 2013/08/30 12:17
お聞きしたことへのご回答以外は、私へのコメントではないものと理解しますので、
ご容赦ください。


たかぼー 2013/08/30 12:33
 自力は捨て物と教えるのは正しい教えだけれど、自分で自力を捨てようとするのは間違い。自分で自力を捨てようとすると「難中の難」に陥ってしまう。これが難信と言われるゆえん。でも、如来にまかせると「難中の難」だったのが、「易中の易」になります。ここが最も大事なところです。この違いは何によるのか、よくよく考えるべきは、このことだけです。
 ちなみに親鸞会では「自力が廃るまで自力で求めよ」と教えますが、自力は捨て物と教えるのではなく、捨てるべき自力で求めよと教えるのですから、これは方向違いもいいところ。捨てるべき自力で求めよと教えるのは、祖師の教義にはない大きな間違い。いつまでたっても自力は捨て物だと分からないことになります。


たかぼー 2013/08/30 13:03
 上記の私のコメントは、特定の方を想定して発信したものではありません。


たかぼー 2013/08/30 15:49
 このスレッドのテーマに対応して、林遊さんが自らのブログに「知られる私」というテーマで20数年前の文章を掲載しています。自己の罪悪感を追究しようとしているお同行の誤りに言及したもので、お勧めです。


しかばね 2013/08/30 16:56
ループさんへ

私は、特定の方に読んで頂きたいことがある時には、“○○さんへ”と相手の方のお名前をまず書くようにしています。
だから、私の先のコメントは、今私が知らされていることを書いただけなのですよ。

ただ、「自力の心」のところはものすごく大切なところと言うか、ここがわかればもう、十劫の間の迷いに打ち止めが出来るところなので、もちろんループさんにも読んで頂けたらいいな・・・と思って書きました。

でも、混乱させてしまったのだとしたら、謝ります。
ごめんなさい。


林遊さんのブログの題名は、ご存じですか?
私は、知らないのですが・・・。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130829/1377768695#c1377829381

たかぼーさんが紹介されているブログは、以下のものです。