安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「もっと」の思いが有るか無いかよりも差しだそうとする心は不要です(おすぎさんのコメント)

おすぎさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ただ今救われる と教えて頂いてもなかなか救われません。時間が経てば経つほど 焦る心が出て 言い訳する心で一杯になります。阿弥陀仏の本願に間違いはないのだから、自分の心がけに問題がある…

「布団は何枚もある」という布団一枚があるだけです(nowhereさんのコメント)

nowhereさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) この距離感の原因は本願に明らかです。すなわち「唯除五逆 誹謗正法」です。ただいま救う弥陀の心を遠ざけているのは、過去世からの私の作ってきた罪悪です。それが、今の私の心には…

もっと○○したらではなく、ただ今救われます(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) そうすると「これが信仰が進んでいることで、この心がもっと深まって行って、どこかで何か方向転換が起きて救われるのかな」というように思ってしまいますが、違うのですよね? 今は、「も…

宿善を厚くせよではなく、ただ今救われよと言うのが知識です。(nowhereさんのコメント)

nowheraさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「ただいま救う阿弥陀仏の本願にただいま救われる」とお聞きします。また宿善開発したひとは、「阿弥陀仏の浄土にただいま救われたい」となったひとであるともお聞きします。 自分の心は如何と…

本願を聞くとは、本願に救われること(頂いた質問)

知識の言葉を通してしか、阿弥陀仏の御心を聞かせていただくことはできないのだから、阿弥陀仏の本願を聞いて救われるには、やはり知識の言葉を真剣に聞くよりほかにないのではないでしょうか?(頂いた質問) 回答します。 阿弥陀仏の本願を聞いて下さいと…

「信仰が進む」は浄土真宗にはない親鸞会独自の教義です(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 顕真11月号に 「善をしてゆけば、そのうちに助かる」は甚だしい聞き誤り という、信心の沙汰を紹介した記事が載っていました。その中に、 『「善をしなければ信仰は進みませんよ」と教えていただき…

真剣になれない人にはなれない人のための南無阿弥陀仏があります

寸暇を惜しんで仏法を聞いたとか、真剣に求めて行かれた話を聞くと、自分のような者は、とてもそのようになれないので、まだ救われないのではないかと思ってしまいます。(頂いた質問) 回答します。 他人の体験談を見聞きしますと、人によっては「とても自…

「まず○○しなさい」の本願ではありません(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 >救われない原因を私にもってくるというのは、ある意味あっています どのような意味であっているのでしょうか?阿弥陀仏に向かうと何とか救われようとしてしまいますが、すべて阿弥陀仏のお力だから…

「私が○○だから救われない」のではありません(五十嵐さん、maryさんのコメントより)

五十嵐さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀さまは端から端まで私の事で一杯なのですね。(五十嵐さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091117/1258409017#c1258474994 阿弥陀仏は何のために成仏されてより常に働き続…

補足・「悪人」について

前回のエントリーの補足として書きます。 コメントにありました 我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人(maryさんのコメント) が、悪人ということではありません。こういう自分自身に対する罪悪観は、一人一人異なるものです…

罪悪観の多少は、阿弥陀仏が救う上での不都合にはなりません(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) 御文章に「我が身の罪の深きにも心を懸けず」とか「我が身の罪の深きには目をかけずして」とあるのは、我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人に、気にし…

ずっと続きません。必ず阿弥陀仏に救われることがあります(頂いた質問)

ただ、自力無功、他力回向、まかせる、これ一つと分かるのですが (略) 御文章(2帖目15通)に「されば「阿弥陀」といふ三字をば、をさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆゑなり。」 とありました。 まかせる まかせる まかせる まかせようとする…

「合点ゆかずば………」は庄松同行の言葉?(デカパンさんのお尋ね)

以前コメントでお尋ねのあったことですが、 > 庄松同行は > 「合点ゆかずば 合点ゆくまで聞きなされ」 > といったのです。私の持っている庄松同行の言行録にはこうした言葉がないのですが、参考までに根拠となっている引用もとの書籍名を教えていただけませ…

阿弥陀仏が回向されるのは切実な心ではありません(頂いた質問)

「たのむ人を助ける」という事ですが、たのむ心のない人はどうしようもないという事でしょうか? 助かりたいという心もないような人が、どうして助かるでしょうか? 助かりたいという切実な心を起こして下さるという事でしょうか?(頂いた質問) 回答します…

分かるか分からないかで救いをはかるのが、仏智の不思議を疑うこと(頂いた質問)

いつまでたっても助からないと,「自分だけ本願から除かれているのではないか」「私は助からないのではないか」「弥陀の本願,本当なのだろうか」という心が出てきますが,これらは疑情でしょうか。法に対する疑い,機に対する疑いでしょうか。「仏智疑う罪…

歎異抄をひらくの「ただ念仏して」について(頂いた質問)

では「ただ念仏して」とは、どんなことなのであろうか。 (中略) これではならぬと真剣に聞こうとすれば、キョロン、トロン、ボーとした心が腹底にドタ牛のように寝そべっていて、ウンともスンとも聞く気がない。「屍の心」と聖人がいわれたのはこのことか…

浄土往きの費用は全部阿弥陀仏の持ち分です(頂いた質問)

阿弥陀仏の救いはお構いなしというか、わかろうがわかるまいが、悪人だろうが闡提だろうが、何でもいいから、とにかくすぐ来い、というのが阿弥陀仏の御心でしょうか。(頂いた質問) 回答します。 仏の慈悲は苦あるものにひとえに重しといわれるように、苦…

信心はゲットするものではありません(前回の補足)

前回のエントリーの補足エントリーです。南無阿弥陀仏をつかむことはできないとは、信心とはどういうものかということと関係があります。 信心獲得とはいわれていても、「信心」という固い何かをゲットすることではありません。 信心獲得すといふは第十八の…

南無阿弥陀仏はつかむものではありません(頂いた質問)

メールで頂いた質問です。 今私がつかもう獲ようとしているその信心,念仏称えて頂こうとしている名号とは,自分の頭で作り上げている南無阿弥陀仏,自分が勝手に思っている想像している信心ではないでしょうか。そんなありもしない架空の南無阿弥陀仏を何と…

プロフィールの改訂と、布教使として思うこと

プロフィールを少し改訂しました。 「21世紀の浄土真宗を考える会 布教使」と書き加えました。 今年の1月以来、プロフィール欄に実名と住所を公開しました。 その後4月に21世紀の浄土真宗を考える会が事業登録されて、私も正式に会の布教使として活動…

以前と書き方が変わっている理由(S会退会者さんのコメント)

S会退会者さんからコメントを頂きました。 有り難うございました。 いつも安心問答読ませて頂いています。 過去のエントリー(2008−06−30)を読み返していたら以下の記述が気になりました。 (長いので中略) いつでも、阿弥陀仏は十八願の世界にすべての人…