安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

唯信鈔文意

「信心を頂いた人が、認知症などでボケてしまったら、どうなるのでしょうか?阿弥陀仏の事や、南無阿弥陀仏という言葉すらも忘れてしまったら、再び後生が不安になったり、再び疑いや計らいが出てきたりしないのでしょうか?信心決定した後には何もかも忘れてしまった人と、信心決定していなくて信じられない人とは、信じ方・疑い方に於いてどの様に違うのでしょうか?疑蓋が外されて信じている状態とは、記憶が失われても信じていられる信じ方なのでしょうか?」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-信心を頂いた人が、認知症などでボケてしまったら、どうなるのでしょうか?阿弥陀仏の事や、南無阿弥陀仏という言葉すら | Peing -質問箱- 質問箱には以下のように書きました。 信心を頂いたというのが本当であれば、摂取の光明に摂め取られて…

「疑心がないという事を自分の心が本願はもう疑うことができない本願は本当の事だった!となる事だと誤解し、まだそうなっていないから信心得られていないと思っている人は多いと思います。疑心がないというのは浄土往生するには、本願を疑っても良いし念仏も称える必要もないし、自分を浄土へ救う本願であると言葉通り聞いているただそれだけです。これが私の信心の理解ですがどう思われますか。」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-より親鸞聖人の信心の定義は本願を聞いて疑心がない事だと表現していますが、これは誤解を招き安く説明不足に感じます。 | Peing -質問箱-質問箱には以下のように書きました。 自分の心に疑心がなくなったかどうかにこだわる人も出てくるという…

「阿弥陀仏に救われたい心が強い人は、そのままがきけません。どうしても無理です。」(中学生さんのコメント)

中学生 2021-11-17 05:19:11 阿弥陀仏に救われたい心が強い人は、そのままがきけません。どうしても無理です。 https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2021/10/27/204247 中学生 2021-11-17 19:11:49 病気の人に治りたい心をなくせと言われてなくせるもの…