安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

御消息

称名念仏する時、①南無阿弥陀仏はただ今救うの仰せだなと思いながら称える。②ただ今救う仰せだとかは思わないようにして称える。③思おうが思わまいが関係なく称える。④お救いは南無阿弥陀仏にあるのだから、救われたら称えていた念仏は、ただ今救うの仰せだったとわかると思いながら称える。などなどいろいろ考えていまいますが、結局のところ称えている南無阿弥陀仏を聞くだけなのでしょうか?(Peing-質問箱-より)

anjinmondou.hatenablog.jp 上記の記事に質問を頂きました。 Peing-質問箱より2023-10-27のエントリーで、「ただ今救うの仰せを聞いて、ただ今救われてください。ただ今救うの仰せとは、今 | Peing -質問箱-質問箱には以下のように書きました。 4つの中では…

「よく「信心にものがらはない」とお聞かせいただきますが、それなら何故「信心獲得」とか、「信を取れ」とか、ものがらがあるような表現がなされるのでしょうか?」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-よりよく「信心にものがらはない」とお聞かせいただきますが、それなら何故「信心獲得」とか、「信を取れ」とか、ものがらが | Peing -質問箱-質問箱には以下のように書きました。 信心にものがらはないというのはその通りです。 信心とは「南無…

「私が死んで浄土に参ったのちはすぐに戻ってくるからな」とか「阿弥陀様、どうかあの人達に仏縁を」とかなどそのようなことを思いながら念仏するのですがこれは正しいのでしょうか。(退会二年目さん、酔っぱらいさんののコメントより)

退会二年目 2013/09/10 03:13 (略) 私は信心決定したのですが私の周りの人は信心決定していないどころか仏教を全く知らない人達ばかりです。どうにかお伝えしたいのですが親鸞会に在籍していた頃の失敗を思い出しなかなかお伝えすることができません。そん…

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問)2_自力はどれだけ捨てようとしても自力になる理由

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 信心に対する「疑い」について、前回に引き続き書きます。疑いについて、別の言葉でよく使われるのが「自力心」または「自力の心」です。 横超とは、本願…