2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧
Kさんのコメントについて改めてエントリーを書きます。 18願には「唯除五逆誹謗正法」とありますが、これもどんな人も助けるということであり罪を問題にせよという意味ではないだろうなと思います。このことについてご解説いただけると有難いです。(Kさんの…
新垣 真さん、Kさんからコメントをいただきましたありがとうございました。 「水火の難に畏れる」ということを会長さんはどんな意図で解説されているのでしょう。思うに、「畏れる」とは象徴的な言葉であり、少し具体性をもたせれば、「煩悩が問題になる」と…
前回のエントリーの続きです。 高森顕徹会長の二河白道の譬えは、罪悪に苦しんだものでないと弥陀の喚び声は届かないというものです。本願を疑う心と罪悪観を混同し、アシスタントの真面目な質問を、「罪悪に恐れていないからだ」と一蹴します。 会長「阿弥…
12月18日富山県射水市の親鸞会館で二千畳座談会が行われました。参加された方より情報を頂きましたので紹介します。 質問は、以下の一問でした。 (前回の会館の法話・正信偈の内容からの質問) 曇鸞大師ほどの方でも病気をきっかけに迷われたのだから、…
阿弥陀仏の本願を疑いなく聞くだけと思っています。しかし、なかなかそこが難しいです。(頂いた質問) 阿弥陀仏の本願は確かに聞くひとつです。しかし、そこが「難しい」といわれるのは、本願を聞いていない証拠です。 なぜなら阿弥陀仏の本願は「若不生者…
ブログを読まれている方から頂いた情報を紹介します。 親鸞会機関紙「顕真H23年12月号」には、「40年求めたが助からなかった。だが…」と銘打って、退会者の批判をしています。 ただ、今回は、「私の白道」を転載し、しかも、親鸞会批判を除いて、華光会で…
自分の心を見てみると、本願をそのまま聞けと言われてもどうしても不安な心が先に出てきてしまいます。(頂いた質問) 阿弥陀仏の本願の救いは聞く一つなのですが、なんとか聞こうとする人には、不安や恐怖が付き纏います。このように言われる方の中には、自…
タイトルの顕正新聞12月1日号を読みました。当エントリーで取り上げるのは、10面「法友通信:善知識のご教導とここが違う 群賊・悪獣・悪知識」に書かれてあった記事です。 内容もおかしなものなので、また機関紙にだけ掲載して会員向けに外部批判記事…
名体不二の尊号を「疑いなく聞いて」これができないのです。 ただ今後生に踏み出すとなっても我が機は大丈夫となれません。 救いは六字となって完成していても我が機がうんといってくれません。 衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞とい…
前回のエントリーで、野球についての譬え話を書いたところ、読まれた方から別の譬え話を教えて頂きました。 親鸞会講師部・親友部・幹部が考えている「信心」についてよく当てはまっていると思ったので紹介します。 特に親鸞会講師部員に多い「大リーグボー…
現在助かっていないということは、阿弥陀仏の仰せをそのまま聞けていないことだと思います。(頂いた質問より抜粋) 現在助かっていない原因を考えようとすると、どうしても「現在より前」に考えが行ってしまいます。別の言い方をすると、「なぜ聞けなかった…