安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

随想

信心獲得したといっている人が気をつけること。自戒の意味で,信仰の中二病問題について

この何回かのエントリーで、しかばねさんのコメントについていろいろとコメント欄で議論があり。私も、何回かエントリーで書きました。 しかばねさんのコメントの流れを見ていると、過去の自分と重なるところがあり、他人事とも思えずいろいろと書いてきまし…

信心と念仏は別物と教える高森会長(宗教法人・浄土真宗親鸞会)から聞いていた「信心正因称名報恩」を振り返ってみる

私が、かつて所属していた親鸞会の高森会長は信心と念仏を別物として会員に教えていました。そのため、私が親鸞会に在籍していたころの「信心正因 称名報恩」の理解は、極端に言えば「信心」が往生の因であるから、称名はお礼の意味しか無いというものでした…

親鸞会の未来を、無碍界裡の覚醒から考える

最近「清沢満之の研究」という本を読みました。高森会長が引退(もしくは死亡)した、未来の親鸞会の姿を予想する内容だったので、その内容と私が思ったことをエントリーとして書きたいと思います。清沢満之氏の死後、暁烏敏・多田鼎の両氏がその後を継ぐこ…

「求道していって後生が苦になって食事がのどに通らない、夜も眠れない。そういう心境になってきたら信心決定は近いから、赤飯でも炊いておきなさい。」の出典と講師部合宿について思い出したこと

このエントリーは、4日前に一度書きました。かつて所属していた自分自身の恥をさらすような内容なので、一度書いて公開をするかどうか考えていましたが、過去を清算する意味でやはり公開することにしました。コメントから情報を頂き、「伊藤先生の言葉ー求…

「行者正受金剛心」の「行者」は善を実行する人と高森会長が主張するたった一つの根拠

行者正受金剛心の「行者」は何を行じる人?(メンデルさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)の追記です。 「行者正受金剛心」の解説について、ブログのエントリーを書いていて、親鸞会在籍時のことで思い出したことをここに書きます。タイ…

高森会長の説明責任について考える

先日、ある本を読み思うところがあったので、エントリーを書きます。 読んだ本は、「加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら」という本。加害者は変われるか?―DVと虐待をみつめながら作者: 信田さよ子出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/03メディア…

救われたら何でも分かるようになると思ってました。

おさびしやまさんのコメントについて、昨日エントリーを書き、その後思ったことを書きます。 私は、親鸞会に15年間在籍し、そのうち10年間は講師部員でした。 親鸞会では、「信心決定することは一切経を読み破る体験だ」と聞かされて来ました。 阿弥陀仏…

未信=未完成な信心 ではありません。

以前のエントリー「人生の目的」=信心決定 ですか?(頂いた質問) - 安心問答(浄土真宗の信心について)を書いた後に思ったことを書きます。生き甲斐には完成がない(死ぬまで求道)けれども、人生の目的は完成がある、卒業がある、決勝点があると、親鸞…

わたしを、わがひとり子とみられるのが阿弥陀仏(でんさんのコメントより)

でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 平生業成と聞くと「今生(一生の間)をかけて」と思いがちですが、即ち、現在の一念なのですね。 何としても私達を救いたいから、一念で救う願を成就されたのですね。 この私はいつでも救いの対象で…

簡単に救われるのはおかしい?について

前回のエントリーを書いて思ったことです。 親鸞会は阿弥陀仏に救われたことを語る人たちを「体験至上主義」といって非難をしてきます。 阿弥陀仏に救われたと言われる方の体験の真偽はさておき、体験を語ることそのものを問題視する考えの基にあるのは、阿…

善のすすめはあるのか、ないのかという問題に親鸞会講師がものすごくこだわる思考を考えてみた

ではKさん、Mさんよ。(以下略) http://blog.goo.ne.jp/oonokatu21/e/83d09cbc9a3be4f13dec058fdd0c924e 上記のブログは、最近親鸞会ブログナビに追加されたhttp://blog.goo.ne.jp/oonokatu21の中の一文です。読んでいるとなんとなくMさんって私のことか…

三願転入は成功体験談か失敗体験談か?

親鸞会では、体験告白は自慢話であり聞く必要は無いという一方、親鸞聖人の三願転入の御文は「親鸞聖人の体験告白」といってよく話をしています。また、信仰を自分の言葉で語る人には近づくなといっています。体験告白といっても大きく分けると2つあります…

親鸞会の講師が教義批判や体質批判に正面から反論しないたった1つの理由

このエントリーに書くことはタイトルの通りです。 ネット上では、親鸞会に対する教義批判や体質批判がよくされています。特に教義批判に関して、正面切って答える講師部員がいないということがよく書かれています。 いろいろ言われながら、なぜ彼らは教義批…

「できるかできないかは、やってみないとわからない」は「やらないと悪い結果になる」という暗示

前回のエントリーを書いている途中に思い出したことを、追記として書きます。質問された方と同じ事を考える人の多くは、 「(19願ですすめられる善が)できるかできないかやってみなければわからない。だからやりなさい」という話を聞いてこられた結果そのよ…

真宗凋落の原因は歎異抄の誤読という親鸞会の歴史観について思うこと

http://shinranshonin.hp.infoseek.co.jp/group/100zennosusume.htmlという記事を以前読みました。 親鸞会にいたころに、今日の浄土真宗が葬式仏教法事仏教になってしまった理由として、以下のような事を聞いてきました。 明治時代に歎異抄が広まった。 歎異…

安心問答を始めた理由と、真宗の「高速道路」について考える

KSANNよりコメントを頂きました。有り難うございました。 『安心問答』は、親鸞会の講師部でブログ作成を推進された時の試作として始められたものだ、と二人の現役講師から聞きました。 講師歴30年以上の超ベテラン講師方のセリフですから、講師部の上層部…