安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「「南無阿弥陀仏」は救いの条件でなく、救いへの感謝であるならば、救いを理解する・信知するという条件は必要になってしまうのではないでしょうか。いや、「救い」には条件がないが「救いを実感する」には条件があるということでしょうか。」(求道者Kさんのコメントより)

しばらくエントリーができず申し訳ございませんでした。また、その間コメント欄にコメントされた方々に御礼を申し上げます。 コメント欄に、求道者Kさんが続けて書かれていることもありますが、最初に書かれたコメントの文面からエントリーを書きます。 この…

「「いつか浄土というふるさとに帰れるのだから今は我慢しなさい」と、もっと言うなら「世界には貧困や飢えでくるんでいる人がいるのだからそれに比べてたらマシ」というような論理と変わらないのではないか?と感じ始めたからです。」(求道者Kさんのコメントより)

生もご縁、死もご縁です。私は母から生まれたがそれもご縁の一つに過ぎない。ガンジス河の砂の数ほどのご縁が私を成り立たせている。だから娑婆の縁尽きれば去っていくのみです。そういう意味でいのちは平等です。縁において生起し、縁において去る。生まれ…

「自分でなんとかしなきゃいけない問題をドラえもん(神仏)に何とかしてもらおうという考えで居る限り永遠に救いとやらには巡り合わないと思うのですが如何お考えでしょうか?」(みそみそさんのコメントより)

みそみそさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 求道者Kさんのエントリーの続きの前に、こちらを書きます。 みそみそ 2016/11/30 11:52 最近、真宗の教えに縋って「助けてください阿弥陀様〜!」と言って行きていても不毛だなと思い、 一旦…