安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

善悪の二つ

「罪悪深重の者と心から思えないせいか、この私のための本願であったと聞くことができません。何かご助言あれば教えて頂きたいです。」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-より罪悪深重の者と心から思えないせいか、この私のための本願であったと聞くことができません。何かご助言があれば教えてい | Peing -質問箱- 質問箱には以下のように書きました。 罪悪深重と思えないとのことですが、自力でなんとかなれそうで…

善悪を超越した阿弥陀仏の救いについて(リモさんのコメントより)

前回のエントリーの内容についてリモさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 リモ 2014/07/27 00:42 >人間の上での善悪を超越している安心問答の2014_07_11のブログのコメントに重複しそうですが、 (http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/2014071…

罪悪観の多少は、阿弥陀仏が救う上での不都合にはなりません(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) 御文章に「我が身の罪の深きにも心を懸けず」とか「我が身の罪の深きには目をかけずして」とあるのは、我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人に、気にし…

阿弥陀仏から、私からの違い(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 前回は、救われる側からすれば、「罪を知ったから救われた」という関係はないということを書きました。 今回は、阿弥陀仏の側から見た場合でお答えします。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/2009100…

なぜ生きるの本にある「機の深信」は罪悪観と混同しているのか?について(S会会員さんのコメント)

S会会員さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 『なぜ生きる』という本に、 ・無明の闇が晴れると、自己の姿がハッキリ見える。 これを「機の深信」といわれる。聖人には、自己の告白が多いが、みな機の深信である。いくつかを紹介しよう。 …

心常念悪と疑い晴れるのではなく、出離の縁あることなしと深信します(メールで頂いた質問)

あるブログをみていると 心常念悪を心常念悪と疑い晴れたいうことは、はるかに人智を超えている。ちょっと聞いて分かることではありえない。 http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/f6a21f4d71ec1e93bd2f869df9d32798 とありました、私もそのように考えていた…

雑行と諸善万行の関係と信仰のバロメーターについて(花さんのコメント)

花さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ご回答有難うございました。私がどうしたら救われるかが大事だと教えて頂きました。私が救われるには雑行をすてなければなりませんが,五雑行は捨てています、しかし諸善万行はどう捨てればよいので…

往生の正因は悪人と知らされることでしょうか?(名無しさんのコメントより)

名無しさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、最も往生の正因なり。他力をたのみたてまつるためならば、悪人と知らされたものでなければなりませんが、自己を善人と思っている人でもただ…

善悪にこだわるのは倫理であって、阿弥陀仏の本願(悪人正機)ではありません

メールで頂いた質問の中で、質問以外の部分で思うところが有りましたので、エントリーをします。 過去無量劫から弥陀の本願を疑い続けてきた,そして今も疑い続けている心があると思います。煩悩でつくりにつくった恐ろしい悪ももちろんですが,何よりも弥陀…

「関係ない」とは「ある」でも「ない」でもないということ(元自称福得会員さんのコメントより)

元自称福徳会員さんへコメント有難うございました。 (全文はこちら http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20080818/1219056593#c1219589534 ) 華光の教えが真実と確信しましたのでそちらに専念したいと思います。 読まれているかどうかはわかりませんが、ブログ…

追記・「善をすてよ」だと「諸行往生の裏返し」になります。

元自称福徳会員さんへ前日のエントリーで、追記したいことがあったので、こちらに書きます。 したがって、「雑行をすてよ」というのは文字通り、「後生の一大事を解決しようとして行う善そのものを捨てよ」と言うことと解釈すべきです。 (元自称福徳会員さ…