安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

一念多念証文

「平常時はありがたいなぁと思っておりました仏法も、今は聞いても苦しくなってしまう始末です。この苦しい心を阿弥陀さまに処理していただきたいという思いでお聴聞しましたが、どうにもならない心と燃えたがる愛憎の気持ちが変わることはなく、お聴聞しても煩悩が邪魔をして教えが入ってこなくなってしまいます。お聴聞させていただく姿勢としてこのような姿勢は改善した方がよいのでしょうか。」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-より今年からお聴聞などを本格的にさせて頂きましたが、さいきん私生活で少し問題が起こり(お軽同行と同じような状況でござ | Peing -質問箱-質問箱には以下のように答えました。 愛と憎しみの波は消し去ろうとして消せるものではありません。…

「南無阿弥陀仏と念仏を称えているときも称えていないときも阿弥陀仏の方から念仏を聞かせようと働き続けて、最終的に信の一念を起こさせ、念仏を聞かせるのが阿弥陀仏なら、私が念仏する必要も聴聞する必要もないなと最近思います。私が信心を得るために何かする必要はないのでしょうか?」(Peing-質問箱-より)

anjinmondou.hatenablog.jp に関連して質問を頂きました。 Peing-質問箱-よりいつもFacebookから見ていて応援しています。 | Peing -質問箱- 質問箱には以下のように書きました。 本願には「至心信楽欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚」とあり、本願成就文…

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問)2_自力はどれだけ捨てようとしても自力になる理由

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 信心に対する「疑い」について、前回に引き続き書きます。疑いについて、別の言葉でよく使われるのが「自力心」または「自力の心」です。 横超とは、本願…