安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

疑情

「信心を頂いた人が、認知症などでボケてしまったら、どうなるのでしょうか?阿弥陀仏の事や、南無阿弥陀仏という言葉すらも忘れてしまったら、再び後生が不安になったり、再び疑いや計らいが出てきたりしないのでしょうか?信心決定した後には何もかも忘れてしまった人と、信心決定していなくて信じられない人とは、信じ方・疑い方に於いてどの様に違うのでしょうか?疑蓋が外されて信じている状態とは、記憶が失われても信じていられる信じ方なのでしょうか?」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-信心を頂いた人が、認知症などでボケてしまったら、どうなるのでしょうか?阿弥陀仏の事や、南無阿弥陀仏という言葉すら | Peing -質問箱- 質問箱には以下のように書きました。 信心を頂いたというのが本当であれば、摂取の光明に摂め取られて…

「疑心がないという事を自分の心が本願はもう疑うことができない本願は本当の事だった!となる事だと誤解し、まだそうなっていないから信心得られていないと思っている人は多いと思います。疑心がないというのは浄土往生するには、本願を疑っても良いし念仏も称える必要もないし、自分を浄土へ救う本願であると言葉通り聞いているただそれだけです。これが私の信心の理解ですがどう思われますか。」(Peing-質問箱-より)

Peing-質問箱-より親鸞聖人の信心の定義は本願を聞いて疑心がない事だと表現していますが、これは誤解を招き安く説明不足に感じます。 | Peing -質問箱-質問箱には以下のように書きました。 自分の心に疑心がなくなったかどうかにこだわる人も出てくるという…

「私は阿弥陀仏の本願を全面的には信頼していないから、おまかせする気になれないのだと思います。そしてこれは「三定死」のような切羽詰まった状態に自分を追い込めないとその気になれないのかとも愚考します。」(猿松さんのコメントより)

猿松さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。また、abcさんもコメントを頂き有り難うございました。 猿松2019-03-02 14:02:25 (略) 確かに、「蓋ある水に月は宿らじ」で、今救われていないのは自分の側に問題があり、その蓋を開けるにはどう…

阿弥陀仏の本願は素直に聞いているつもりですが、信心決定したかといえばそうでもありません。また、疑いといわれても私には今一つよく解りません。疑いが出るように何かしたほうがいいのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏の本願は素直に聞いているつもりですが、信心決定したかといえばそうでもありません。また、疑いといわれても私には今一つよく解りません。疑いが出るように何かしたほうがいいのでしょうか?(頂いた質問) 疑いがなければ信心だと考えて、まず「疑い…

追記 疑惑の心は、18願の救いを求める心から起きます。

一旦書いた後、また思うところがあったので、追記として書きます。 如来の諸智を疑惑して 信ぜずながら なをもまた 罪福深く信ぜしめ 善本修習すぐれたり」真宗の教えは18願の救い(現生不退・報土往生)です。そのためには信ずるひとつであるため、邪魔にな…