安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

以名摂物録(松澤祐然述)「30 乗せられた信相」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 30 乗せられた信相 サア皆様よ、この五乗院様の御話しがわかりますか。実に奇抜と申そうか、深刻といおうか、他力教の不思議不思議と信ぜらるる…

以名摂物録(松澤祐然述)「29 断りが遅いと仏になるぞ」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 29 断りが遅いと仏になるぞ 私の檀中に、越後の貞信といえば、真宗の信仰界に、誰れ知らぬものはない、妙好人がありました。惜しいかな明治四十…

以名摂物録(松澤祐然述)「28  弘誓の船と港」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 28 弘誓の船と港 前席より引続いて御話し申しまする、我等がこの度難度海を渡して頂く、弘誓の船の本体は。招喚大悲の喚び声にして、有情を呼ぼ…

以名摂物録(松澤祐然述)「27 呼声と船」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 27 呼声と船 皆様よ、この有情を呼ぼうてのせ給うというところが、実に三世十方に並びのない、超世不共の弥陀法に局(かぎ)る別徳を、顕わして…

以名摂物録(松澤祐然述)「26 呼ぼうてのせ給う」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 26 呼ぼうてのせ給う そこで阿弥陀如来は、どうして我等を弘誓の船にのせて下さるるやというに。さても不思議の乗せかたをして下さるるので、そ…

以名摂物録(松澤祐然述)「25 乗せられたが他力」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 ※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であることも考慮してそのまま掲載しています。 25 乗せられ…

「何故、人間の理解を越えた南無阿弥陀仏を疑いなく聞けている人達がいるのですか。」(武さんのコメントより)

武 2014/12/17 21:09 南無阿弥陀仏は私を助ける仰せであると聞いて疑いないのが信心と言いますが、私は疑ってしまいます。 そもそも、浄土も輪廻も阿弥陀仏も実感できない人間に南無阿弥陀仏を疑いなく聞く事は無理だと思います。無理して疑わないようにする…

以名摂物録(松澤祐然述)「24 乗込んだが南無」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 24 乗込んだが南無 引続いて御話しをさせて頂きますが、此度弘誓の舟に乗込むには、決して切符はいらぬということを前席に委(くわ)しく御話し…

以名摂物録(松澤祐然述)「23 切符は狂人の沙汰」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 23 切符は狂人の沙汰 第三には切符がなくは乗せられぬというような話しにして見ると。真実大悲の親様を、丸で無茶苦茶にして仕まいますぞ。すべ…

以名摂物録(松澤祐然述)「22 切符持たずに飛乗り」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 22 切符持たずに飛乗り 第二に信心が切符で、御助けが汽車ならば。切符と汽車は全く体が違うておるから、確かに機法二体になる。機法が二体であ…

以名摂物録(松澤祐然述)「21 切符を持て乗後れ」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 21 切符を持て乗後れ そこで若し信心が切符のようなもので、御助けが汽車の如しとして見ると、幾多の不審が起って来る。 先ず第一には信心の力用…

以名摂物録(松澤祐然述)「20 信心は切符であるか」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 20 信心は切符であるか 『聞くたびに珍らしければほととぎす、いつも初音の心地とぞすれ』。 すべて我身の熱心に好むことになると、何度同じこと…

以名摂物録(松澤祐然述)「19 光明は六字なり」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 19 光明は六字なり 私は幼少のころ、御和讃や御文を拝読して、心のうちに思いますには。何でも我々の方に、疑い晴れて一心に弥陀をたのんだとき…

「ただ今から見れば、後生はあくまで未来のことではないでしょうか。もっとも、その後生を問題にしているのは、「ただ今」であるとは思いますが。」(さとしさんのコメントより)

さとしさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 さとし 2014/12/09 06:23 >「後生とは後に来るべき生涯」との意味です。そこで、それを私が「ただ今のこと」と書いたのは、それは当事者にとってはいつでも「ただ今」のことになるからです。生…

「後生」が「ただ今」のこととはどういうことなのでしょうか。(さとしさんのコメントより)

前回の続きです。 さとし 2014/12/08 03:39 >なぜなら「後生」という言葉は、そのうちやってくる未来のいつかの事ではないからです。というのは、「後生」といっても、それは「そのうち」ではなく「ただ今」のことです。「後生」が「ただ今」のこととはどう…

脱会ブログを更新しました。

親鸞会会員が「横の線」を進んでいるのになぜ「縦の線」にたどり着けないのかを、エッシャー上りと下り(無限階段)から考える - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「六道輪廻なんて過去の遺物だとしか思えない僕には、浄土へ往きたいとは思えそうにありません。僕は、浄土真宗では救われないということなのでしょうか…」(さとしさんのコメント)

さとし 2014/12/06 06:27 名号を手形に譬えて説明されてますが、手形をほしいと思わなければ衆生は結局のところ手形を受け取ることはできないんじゃないでしょうか。 「後生一つに病み患い困り果て」ていればこそ、「ありがとうございます」と受け取ることも…

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「煩悩と疑情」を混同させて、会員を迷わせる高森顕徹会長(親鸞会機関誌顕真平成26年10月号を読んで) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

以名摂物録(松澤祐然述)「18 摂取は六字なり」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。 18 摂取は六字なり 先年名古屋の或同行が、私へ申しますには。 『これまで他力他力と聞かせ貰うておりましても、今迄の他力は誠に難儀の他力であ…

以名摂物録(松澤祐然述)「17 廻向は六字なり」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。前回の続きです。前回の続きです。 17 廻向は六字なり 火の話しを何程手厚う聞いたとて、身体の焼ける気遣いはない。水の由れを何程深く心得ても、手足は夫でぬれ…