2010-01-01から1年間の記事一覧
念仏について何回か書かれていますが、南無阿弥陀仏と称えることは、どういう意味なのでしょうか?お礼なのでしょうか。(頂いた質問) ただ南無阿弥陀仏と称えると聞いても、どういう意味なのかわからないとの事ですが、南無阿弥陀仏と口で称えることは、阿…
8月21日から23日、山口県長門市俵山温泉にある光摂坊にて、深川和上の夏安居が行われました。 内容は、四十八願講讃。俵山温泉は、車で行く場合は中国道美祢インターを降りて1時間ぐらい走った山間にあります。 俵山温泉入り口の写真 車が一台通ること…
山本さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 エントリーが遅くなり申し訳ございませんでした。 そのまま素直に受け取るとは、雲をつかむような感じです。(山本さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100825/1282728048#c128287…
でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 自分で口を動かし、声に出さねば南無阿弥陀仏は出てこない そこに自力を交えずとは?(でんさんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100826/1282813160#c1282986480 阿弥陀仏が、私を…
三橋さんよりコメントをいただきました。有難うございました。 自分で出口を見つけようとするのではなく、ただ今救うという阿弥陀仏の仰せを聞くよりほかにないのですね。 ですがやはり、「どうすれば聞けるのか」とまた考え始めてしまいます。 何も考えずに…
でんさんよりコメントを頂きました。でんさんのコメントについて、maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「きく」とは言うけれど、知ることを聞くというのだと思ってました。 本当に音として耳に聴こえてくるのですか。(でんさんのコ…
山本さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 しょせんは阿弥陀仏まかせなのですから、うだうだ言わずに待つしかないのかと思います。 早いか遅いかの違い、今生か来生か、それ以降かの時間の違いはあるけれども、ゆくゆくは一人残らず本願海…
前回の補足でエントリーをします。 「どうすれば、どうすれば」の繰り返しで無限ループになってしまい、出口が無いような気がしてしまいます。(三橋さんのコメントより) 無限ループは、文字通り無限なので出口がありません。 それでも「どうすれば、どうす…
三橋さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 救われるというのは「自力の心を捨てて、仏願に疑心有る事無しの状態になったこと」というように私は思っているのですが(違っていたらすみません) 「どうすれば助かるのだろう」という自力の計ら…
(略) 私も、ただ今救われたいのですが、その気持ちが薄い・弱いのでしょう。 既に救われた方々がどうだったかはわかりませんが、「ただ今、ただ今」と必死に阿弥陀仏に向き合うことは私の能力を超えているので、できそうもありません。 明日、目が覚めたら…
徳永さん、でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀仏は、そこまで思ってくだされているのですね。 私はひねくれ者で、南無阿弥陀仏を素直に「はい」と受けとれません。 阿弥陀仏が私のことをそこまで思ってくだされているのならば…
でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 平生業成と聞くと「今生(一生の間)をかけて」と思いがちですが、即ち、現在の一念なのですね。 何としても私達を救いたいから、一念で救う願を成就されたのですね。 この私はいつでも救いの対象で…
YYさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「阿弥陀仏は現在ただ今救って下さる」といつもお聞きして おりますが、「ただ今救う」という御聖教上の根拠を知りたいのですが。 本願文の設我得仏十法衆生〜だけでは、解らないのです。(YYさんの…
徳永さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 凡智からすると、今生で救われている人とそうでない人がいることほど、不平等はないように思ってしますのです。この考えの誤りをただしていただければと思います。(徳永さんのコメント) http://…
前回のエントリーを書いて思ったことです。 親鸞会は阿弥陀仏に救われたことを語る人たちを「体験至上主義」といって非難をしてきます。 阿弥陀仏に救われたと言われる方の体験の真偽はさておき、体験を語ることそのものを問題視する考えの基にあるのは、阿…
私自身は、縁があれば仏法を聞いてみたいというような気持ちで、火の中分けてもというような強い気持ちはありません。それでも、仏法を聞きもとめた方がよいのでしょうか?(頂いた質問) 阿弥陀仏の本願は、火の中分けるような大変強い聞法心や覚悟をもった…
メンデルさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (略) 本会では、唯除された者だと信心決定の時に知らされ、それが機の深信みたいに説明されていて、だから救われるに間違いなし、堕ちるに間違いなしの絶対的矛盾自己同一の信心だみたいに…
ではKさん、Mさんよ。(以下略) http://blog.goo.ne.jp/oonokatu21/e/83d09cbc9a3be4f13dec058fdd0c924e 上記のブログは、最近親鸞会ブログナビに追加されたhttp://blog.goo.ne.jp/oonokatu21の中の一文です。読んでいるとなんとなくMさんって私のことか…
阿弥陀仏の呼び声を聞くまでは、善知識から聞くしかないと聞いてきましたが、それではいけないのでしょうか?(頂いた質問) 阿弥陀仏の呼び声は、常に私に向かって呼びかけられているものです。他人を経由しないと聞けないというものでは有りません。 どう…
難中之難と聞いているから、阿弥陀仏に救われるのは大変難しいことではないかと思います(頂いた質問) 確かに、大無量寿経、正信偈にも「難中之難」と仰っています。しかし、難しいのだろう、難しそうだ、やっぱり無理だろうと考えるものではありません。 …
親鸞会公式サイトの「仏法は聴聞に極まる」の記事についてどう思いますかと尋ねられました。お尋ねの部分を読んで見ました。いろいろと思うところはありますが、以下の部分について書きます。 「弥陀の呼び声」を聞く(真)聞即信の一念まで、釈迦の教えをき…
阿弥陀仏をたのむということは、阿弥陀仏をより深く信じていくということなのでしょうか?(頂いた質問) より深く信じるかどうかになると、どれだけ信じられるかどうかが問題となります。 深く信じると言う言葉が、段階的な意味で言うならば、自分の心がよ…
種々考えてみましたが、どうにもこうにもならずお手上げの状態です。(頂いた質問) 考えてもわからないことなので、阿弥陀仏は呼びかけてくださっています。 始めて行く土地を旅するときに、道がいくつもわかれていれば、こっちの道へ行ったらいけるだろう…
親鸞会では、体験告白は自慢話であり聞く必要は無いという一方、親鸞聖人の三願転入の御文は「親鸞聖人の体験告白」といってよく話をしています。また、信仰を自分の言葉で語る人には近づくなといっています。体験告白といっても大きく分けると2つあります…
阿弥陀仏にまかせる他にないとは聞いていますが、実際は、まかせているつもりですがなかなか不安な心がなくなりません。(頂いた質問) 阿弥陀仏にまかせているけれども不安であるという心は、どういう心かを考えて見ます。 阿弥陀仏にまかせるよりほかにな…
すべて阿弥陀仏の力と聞くと、結局どうしたらいいのかわからなくなりました。本当に何もしなくていいのでしょうか?(頂いた質問) 全て阿弥陀仏の力と言いますのは、私を救うお働きは全て南無阿弥陀仏の中にあるということです。「何もしなかったら助かる」…
前回のエントリーに関連して、頂いた質問について書きます。 助けられる努力は不要という説明は分かりました。 しかし、それまでは真剣に聞こうとしたり、なんとか助かろうと思うことは大事なのではないかと思います。そういう気持ちは大事ではないのでしょ…
阿弥陀仏に救われるのに、なにか努力が必要なように思います。弥陀をたのむとか、自力を捨てよといわれると、阿弥陀仏をたのむため、自力を捨てるためには何かしらの努力は必要なのでしょうか?(頂いた質問) 自分の力で助かるのでしたら、ちょっとどころで…
このエントリーに書くことはタイトルの通りです。 ネット上では、親鸞会に対する教義批判や体質批判がよくされています。特に教義批判に関して、正面切って答える講師部員がいないということがよく書かれています。 いろいろ言われながら、なぜ彼らは教義批…
前回のエントリーを書いている途中に思い出したことを、追記として書きます。質問された方と同じ事を考える人の多くは、 「(19願ですすめられる善が)できるかできないかやってみなければわからない。だからやりなさい」という話を聞いてこられた結果そのよ…