安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

そのまま聞くといっても雲をつかむようです(山本さんのコメント)

山本さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
エントリーが遅くなり申し訳ございませんでした。

そのまま素直に受け取るとは、雲をつかむような感じです。(山本さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100825/1282728048#c1282875372

雲をつかむような感じというのは、私もそのように思っておりましたのでよく分かります。
阿弥陀仏とか、信心とか、称名と聞いても、私の側には何か実感できる確かなものがないからです。
それは、私が浄土往生する働きが最初から、最後まで阿弥陀仏のお仕事だからです。

「是名正定之業順彼仏願故」といふは、弘誓を信ずるを報土の業因と定まるを正定の業となづくといふ、仏の願にしたがふがゆゑにと申す文なり。(一念多念証文)

その阿弥陀仏の本願ひとつに私を浄土往生させる働きがあります。それに私の方で自力の計らいを差し挟むと、その働きが私の上に現れないのです。そのため、弘誓を信ずるを報土の業因と定まるといわれています。往生浄土を決定する因・働きのことを正定の業と言われています。

信心といっても、阿弥陀仏の本願のお働きを聞いて疑いないことですから、私の働きはどこにもありません。
雲をつかむように思われるのは、実体があるはずなのにという思いが強いからではないかと思います。私の側には、最初からなにもありません。有りませんので、阿弥陀仏のお力一つでただ今救われるのです。