安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「できるかできないかは、やってみないとわからない」は「やらないと悪い結果になる」という暗示

前回のエントリーを書いている途中に思い出したことを、追記として書きます。

質問された方と同じ事を考える人の多くは、
「(19願ですすめられる善が)できるかできないかやってみなければわからない。だからやりなさい」という話を聞いてこられた結果そのように思われる方が多いようです。

ワールドカップで、今回日本チームが決勝トーナメントに進出をし、連日ワールドカップの報道をしていました。
「できるか、できないかはやってみないとわからない」という表現を、日本代表の岡田監督や、選手の口から出ていたの耳にしました。
たしかに、決勝トーナメントのパラグアイとの試合に勝って、ベスト8進出「できるか、できないかはやってみないとわからない」ことです。

「やってみないとわからない」というのは、まだ決まっていないこと、可能性のあること関して使う言葉です。また「やること」が、いづれにしろ結果に対しては絶対必要な条件となる言葉です。サッカーの試合に関しては、確かに試合をしないと勝つも負けるもありませんので「とにかく全力で戦うしかない」となります。
「やってみないとわからない」というのは、「やらないと確実に悪い結果になる」というときに使う言葉です。これも一つの暗示の言葉です。

日本代表とパラグアイとの試合が終わった後に「やってみないとわからない」と、監督も選手も言いません。

親鸞聖人が繰り替えし、教えて下さることは「善ができるかできないかは、末代の凡夫にはやる前から分かっているのだから、本願力に早く救われなさい」といわれているのです。
本当に助ける働きのある南無阿弥陀仏を勧めておられます。
言い方を変えれば、「できるかできないかという考えを早く離れて、南無阿弥陀仏に向きなさい」と勧めておられます。

助かる道が、私の行の中にないのですから、どれだけ積み重ねても往生は必ず不可です。南無阿弥陀仏にのみ、私を助ける働きがあるのです。

現在阿弥陀仏の本願に救われようと話を聞きに来ている人に、「あなたは、本願を聞きに来ているが、本当は自惚れているのだから、まずその自惚れ心を正すために善を実行してきなさい」と、親鸞聖人は仰いません。
阿弥陀仏の立場に立てば、そのような心になり、ただ今本願に救われようと思った人を門前払いするような真似をなさるはずはありません。
十劫の昔から、追いかけて呼びかけて下さっているのですから、さらに私に何か試練を課すような真似はされません。されないからこそ、ただ今の救いなのです。