安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

前回の補足:見つけるのでなく聞くのが大事(三橋さんのコメント)

前回の補足でエントリーをします。

「どうすれば、どうすれば」の繰り返しで無限ループになってしまい、出口が無いような気がしてしまいます。(三橋さんのコメントより)

無限ループは、文字通り無限なので出口がありません。
それでも「どうすれば、どうすれば」というのは、まだ出口があると思われてのことではないかと思います。

阿弥陀仏に救われるということは、自分で出口を見つけて無限ループから抜け出ることではありません。また、出口がわかることでもありません。
生死を離れる道を見る目もない私のために、阿弥陀仏は声となって呼び続けられているのです。

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
 生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ(正像末和讃53・註釈版聖典P609

そのため、浄土往生を願う人がすることは、出口を見つけることではなく、ただ今救うとよび続けて下さる、阿弥陀仏の仰せを聞くことです。
そんな声は聞いたことないと言われるかもしれませんが、耳にする音としては、南無阿弥陀仏の音であり、阿弥陀仏が声になられたお姿なのです。

自分の中を探しても、答えはみつかりません。見つからない以上は、聞くよりほかにありません。
ただ今救うという阿弥陀仏の仰せを、ただ今聞いて救われて下さい。