安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

今だけ、ここだけ、私だけの本願(頂いた質問)

阿弥陀仏の呼び声を聞くまでは、善知識から聞くしかないと聞いてきましたが、それではいけないのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏の呼び声は、常に私に向かって呼びかけられているものです。他人を経由しないと聞けないというものでは有りません。
どうしても人を経由しないときけないという考え方は、喩えますと、花火大会のニュースを見て、空に広がる打ち上げ花火を見ないようなものです。
大きな花火大会になると、テレビのニュースや新聞で報道されるものもあります。それを見て花火を見た気になったとしても、実際に花火を見たわけではありません。
実際の花火を見ることができるのは、「その時だけ、そこでだけ、そこにいる人だけ」です。報道されるものは、二次情報であって、それは一部しかあらわすことができません。

花火大会は、決まった日時、場所でなければ見ることはできません。しかし、阿弥陀仏の本願の呼び声は、常にただ今私に向かって呼びかけられています。ですから、阿弥陀仏の仰せは「ただ今だけ、ここだけ、私だけ」のものです。
善知識の仰せも「阿弥陀仏の仰せを聞け」であって、『「阿弥陀仏の仰せを聞け」という私の言葉を聞け』ではありません。

ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。