安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

素直になれとはいわれていません。そのまま来いと言われています(徳永さんのコメントより)

徳永さん、でんさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

阿弥陀仏は、そこまで思ってくだされているのですね。
私はひねくれ者で、南無阿弥陀仏を素直に「はい」と受けとれません。
阿弥陀仏が私のことをそこまで思ってくだされているのならば、阿弥陀仏のほうから無理やり力ずくで与えてもらえないものなのでしょうか。
強制執行のような感じで。
私のほうの打つ手は尽きて、阿弥陀仏にうちまかせたいのですが、それが出来ずに困っております。(徳永さんのコメント)

言葉で言えば、素直にならなくても、ひねくれていてもいいから、本願を疑いなく聞いて下さいということになります。素直に聞くと言うことと、ひねくれ者がすなおな者になるということは違います。

阿弥陀仏の救いは、力ずくといえば力ずくです。私の力を必要とせず、まったく阿弥陀仏のお一人働きで救って下されるからです。

帰命は本願招喚の勅命なり(教行信証行巻・註釈版聖典P170)

南無阿弥陀仏の「南無」は、帰命のこころですが、親鸞聖人は、帰命について、本願招喚の勅命といわれています。
断ることは到底できない強いご命令と言うことです。何も差し出す必要は無いぞ、何も出さずに、そのまま来いという仰せです。

世の中の強制執行というのは、執行する人がやってくるということですが、阿弥陀仏も、私の所へやってこられて、今すぐ救うからそのまま来いと言われています。

打つ手が尽きたと言われているのでしたら、素直になれとはいわれていません。本願のとおりに、ただ今救われて下さい。