安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

どうすれば、に終わりがないから、弥陀をたのむ(三橋さんのコメント)

三橋さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

救われるというのは「自力の心を捨てて、仏願に疑心有る事無しの状態になったこと」というように私は思っているのですが(違っていたらすみません)
「どうすれば助かるのだろう」という自力の計らいはどうやっても捨てることができないように思います。
「どうすれば、どうすれば」の繰り返しで無限ループになってしまい、出口が無いような気がしてしまいます。(三橋さんのコメント)

「どうすれば」の繰り返しには終わりがありません。自力で自力は捨てられないので、際限がありません。

自力の心を捨ててというのは、自分で自力の心を捨てて、仏願に疑心有ることなしの状態になるのではありません。

自力を捨てるのも、弥陀をたのむのも、同じく阿弥陀仏のお仕事です。
自力を捨てよとは、弥陀に帰命せよということです。阿弥陀仏にまかせなさいということです。自力で自力を捨てることに終わりがないことを知っておられるのでしたら、早く阿弥陀仏に帰命して、ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。