安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

まかせても不安があるということについて考える

阿弥陀仏にまかせる他にないとは聞いていますが、実際は、まかせているつもりですがなかなか不安な心がなくなりません。(頂いた質問)

阿弥陀仏にまかせているけれども不安であるという心は、どういう心かを考えて見ます。

  1. 阿弥陀仏にまかせるよりほかにない
  2. 私が助かるかどうかは、阿弥陀仏のお力一つによる
  3. それなのに実際助かっていない
  4. 助ける気が阿弥陀仏にないのではないか?
  5. 自分は悪くない、阿弥陀仏が助けないから助かっていないのだ。

列記すると、このような考え方なのではないかと思います。
4番、5番は、阿弥陀仏に対する疑い心から、阿弥陀仏に責任を押しつけるようになります。

問題は「誰の責任か」という責任論ではありません。どっちが悪いかという、善悪の話ではないのです。
責任を追及しても、それで浄土に往生出来るのではありません。また、責任を追及するという考え方は、阿弥陀仏に対して要求を突きつける自力回向の考え方です。

阿弥陀仏をたのんでいるが、助からないというのは、阿弥陀仏のお慈悲を疑うところから来ているのです。阿弥陀仏は十劫の昔から私を助けようとしておられます。私が何年聞いていると言うことと関係なく、常に呼びかけておられます。
ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。