安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

念仏は私の声ではなく、阿弥陀仏のお働き(三橋さんのコメントより)

三橋さんよりコメントをいただきました。有難うございました。

自分で出口を見つけようとするのではなく、ただ今救うという阿弥陀仏の仰せを聞くよりほかにないのですね。
ですがやはり、「どうすれば聞けるのか」とまた考え始めてしまいます。
何も考えずに念仏を称えていればよいのだろうかと思ったりもするのですが、
それでは駄目なような気もしますし、どうすればよいのでしょう。(三橋さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100824/1282612586#c1282706249

何も考えずに念仏を称えるという念仏は、何も考えないような精神状態にして自分で称えた念仏という意味のように思えてしまいます。

南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏の行であって私の行ではありません。
私の行にしようとか、私の功徳になるような思いは、本願の働きを疑う心です。
何も考えずにではなく、

本願を信じ念仏を申さば仏に成る(歎異抄第12条)

とあるように、本願を信じ念仏申すものは仏になると教えられています。

自分の行になるように思うのは、本願を疑い、自分の力をたのみにしているということになります。
自分の計らいを入れずに、本願を信じ念仏申してください。
念仏は、阿弥陀仏が声となって現れられ私の口から出て働いて下さっているのです。
浄土往生する力は私の心や私の声にあるのではなく、南無阿弥陀仏の中にあるのです。