安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

救われるのに方角はあるのですか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるために、阿弥陀仏が示された方角があるとあるところで聞きました。そう聞くとどうしても、方角に向かって進まないと救われないような気がします。
阿弥陀仏は私たちに向かって救われる為の方角を示されたのでしょうか?(頂いた質問)

救われる為の方角というのはありません。方角という言葉は、意味からすると方法と同じことになります。
例えば、以下のようになります。

  • 「阿弥陀仏は浄土に往生する為にこの方角を進めと教えられた」
  • 「阿弥陀仏は浄土に往生する為にこの方法を実践せよと教えられた」

阿弥陀仏はただ今救うという本願を建てられました。ただ今救うからには、場所は今自分がいるところで救うということです。
方角というと、「救いの場所」が「今自分がいるところ」ではなくて、「未来のいつか、どこか」で救われることになります。
スタート地点から出発をしてゴール地点までたどり着かないと救われないのではありません。仮にゴール地点までたどり着かねばならないとするならば、完走できない人は阿弥陀仏の救いにあうことがないということになります。

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
 生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ(正像末和讃53・註釈版聖典P609

私がいる場所がどこであっても、ただ今いる場所が私のいるところです。それは生死の海とご和讃で言われています。私に向かって、こっちへ泳げといわれるのではありません。
阿弥陀仏は大願の船に乗られ、生死の海にやってこられて、ただ今救うとよびつづけられ乗せてくださるのです。
そこには方角というのはありません。

いつかどこかでではなく、ただ今救って下さるのが阿弥陀仏です。