安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

救われるのにハードルは必要ですか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるには、高いハードルを越えていかねばならないと思っていました。また、活動上いろいろと高いハードルを設定されてそこを乗り越えようと頑張ってきました。正直、自分には超えられないハードルで落ち込んでいましたが、阿弥陀仏に救われるのに超えねばならないハードルはあるのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるために超えなければならないハードルはありません。もし、そんなハードルがあったら、それを乗り越えることができない人は救われないと言うことになります。
何かの障害を乗り越えた人に与えられるご褒美が浄土ではありません。阿弥陀仏の救いは、大慈悲による救済ですから、助けられる法です。頑張った人が助かる法ではありません。
また、阿弥陀仏が私に南無阿弥陀仏を回向してくださるからといって、私は消費者ではありません。今日の経済社会においては、サービスを受ける側は消費者といわれますが、それを仏法に持ち込むのは間違いです。
なぜなら消費者とは、以下のように定義されるものだからです。

消費者とは「もっとも少ない代価で、もっとも価値のある商品を手に入れること」を目標とする人間のことです。
街場のメディア論 (光文社新書)

この考えを仏法に持ち込むので、如何に少ない代価で、もっとも価値のある往生浄土を手に入れるかを目標とするようになり、「選ばれた最短の道」という言葉をみると、設定されたハードルに俄然頑張ろうとします。
阿弥陀仏は、私を救う代価を私に要求されることはありません。本願を建てられるときに、そもそも代価を必要とされていないからです。

如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり(正像末和讃38・註釈版聖典P606

阿弥陀如来が願を建てられたのは、回向するためです。私にハードルを越えさせるためではありません。回向が第一です。私の方からは、聞く一つです。