安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

念仏が特段有り難いとも思いませんが?(ジーマさんのコメント)

時々念仏は出てきますが,特段有難いとも思いません。忘れてばかりで申し訳ないとも思いません。これではいけないのでしょうか。(ジーマさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20101204/1291412572#c1291474217

ジーマさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
念仏に対して有り難いと思わないとか、忘れてばかりで申し訳ないと思わないこと自体は、個々人の感じることなので、その善し悪しをここではいいません。

よくないのは、念仏を何かの役に立てようと思うことです。念仏称えないと何か悪いことが起きるのだろうか、それなら称えたほうが往生する上で役立つのではないかと思う心が悪いのです。
また、有り難いと思わなくても、南無阿弥陀仏が私を救って下さる法なのですから、念仏しなくてよいというものではありません。

一 実如上人、さいさい仰せられ候ふ。仏法のこと、わがこころにまかせずたしなめと御掟なり。こころにまかせては、さてなり。すなはちこころにまかせずたしなむ心は他力なり。(御一代記聞書55・註釈版聖典P1250

仏法のことは、我が心にまかせずたしなめといわれています。ここでいわれる仏法のことには、もちろん念仏することも含まれています。南無阿弥陀仏と念仏するのは、わが心にまかせていては、有り難く思えなかったり、申し訳なく思えないときには称えないということになります。心にまかせず励んで念仏されたらよいとすすめておられます。
また、阿弥陀仏の御恩をなかなか思えない者ですから、心にまかせてはならないと働いて下さいます。