安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2009-01-01から1年間の記事一覧

「信仰が進む」は浄土真宗にはない親鸞会独自の教義です(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 顕真11月号に 「善をしてゆけば、そのうちに助かる」は甚だしい聞き誤り という、信心の沙汰を紹介した記事が載っていました。その中に、 『「善をしなければ信仰は進みませんよ」と教えていただき…

真剣になれない人にはなれない人のための南無阿弥陀仏があります

寸暇を惜しんで仏法を聞いたとか、真剣に求めて行かれた話を聞くと、自分のような者は、とてもそのようになれないので、まだ救われないのではないかと思ってしまいます。(頂いた質問) 回答します。 他人の体験談を見聞きしますと、人によっては「とても自…

「まず○○しなさい」の本願ではありません(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 >救われない原因を私にもってくるというのは、ある意味あっています どのような意味であっているのでしょうか?阿弥陀仏に向かうと何とか救われようとしてしまいますが、すべて阿弥陀仏のお力だから…

「私が○○だから救われない」のではありません(五十嵐さん、maryさんのコメントより)

五十嵐さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 阿弥陀さまは端から端まで私の事で一杯なのですね。(五十嵐さんのコメント) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091117/1258409017#c1258474994 阿弥陀仏は何のために成仏されてより常に働き続…

補足・「悪人」について

前回のエントリーの補足として書きます。 コメントにありました 我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人(maryさんのコメント) が、悪人ということではありません。こういう自分自身に対する罪悪観は、一人一人異なるものです…

罪悪観の多少は、阿弥陀仏が救う上での不都合にはなりません(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 (中略) 御文章に「我が身の罪の深きにも心を懸けず」とか「我が身の罪の深きには目をかけずして」とあるのは、我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人に、気にし…

ずっと続きません。必ず阿弥陀仏に救われることがあります(頂いた質問)

ただ、自力無功、他力回向、まかせる、これ一つと分かるのですが (略) 御文章(2帖目15通)に「されば「阿弥陀」といふ三字をば、をさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆゑなり。」 とありました。 まかせる まかせる まかせる まかせようとする…

「合点ゆかずば………」は庄松同行の言葉?(デカパンさんのお尋ね)

以前コメントでお尋ねのあったことですが、 > 庄松同行は > 「合点ゆかずば 合点ゆくまで聞きなされ」 > といったのです。私の持っている庄松同行の言行録にはこうした言葉がないのですが、参考までに根拠となっている引用もとの書籍名を教えていただけませ…

阿弥陀仏が回向されるのは切実な心ではありません(頂いた質問)

「たのむ人を助ける」という事ですが、たのむ心のない人はどうしようもないという事でしょうか? 助かりたいという心もないような人が、どうして助かるでしょうか? 助かりたいという切実な心を起こして下さるという事でしょうか?(頂いた質問) 回答します…

分かるか分からないかで救いをはかるのが、仏智の不思議を疑うこと(頂いた質問)

いつまでたっても助からないと,「自分だけ本願から除かれているのではないか」「私は助からないのではないか」「弥陀の本願,本当なのだろうか」という心が出てきますが,これらは疑情でしょうか。法に対する疑い,機に対する疑いでしょうか。「仏智疑う罪…

歎異抄をひらくの「ただ念仏して」について(頂いた質問)

では「ただ念仏して」とは、どんなことなのであろうか。 (中略) これではならぬと真剣に聞こうとすれば、キョロン、トロン、ボーとした心が腹底にドタ牛のように寝そべっていて、ウンともスンとも聞く気がない。「屍の心」と聖人がいわれたのはこのことか…

浄土往きの費用は全部阿弥陀仏の持ち分です(頂いた質問)

阿弥陀仏の救いはお構いなしというか、わかろうがわかるまいが、悪人だろうが闡提だろうが、何でもいいから、とにかくすぐ来い、というのが阿弥陀仏の御心でしょうか。(頂いた質問) 回答します。 仏の慈悲は苦あるものにひとえに重しといわれるように、苦…

信心はゲットするものではありません(前回の補足)

前回のエントリーの補足エントリーです。南無阿弥陀仏をつかむことはできないとは、信心とはどういうものかということと関係があります。 信心獲得とはいわれていても、「信心」という固い何かをゲットすることではありません。 信心獲得すといふは第十八の…

南無阿弥陀仏はつかむものではありません(頂いた質問)

メールで頂いた質問です。 今私がつかもう獲ようとしているその信心,念仏称えて頂こうとしている名号とは,自分の頭で作り上げている南無阿弥陀仏,自分が勝手に思っている想像している信心ではないでしょうか。そんなありもしない架空の南無阿弥陀仏を何と…

プロフィールの改訂と、布教使として思うこと

プロフィールを少し改訂しました。 「21世紀の浄土真宗を考える会 布教使」と書き加えました。 今年の1月以来、プロフィール欄に実名と住所を公開しました。 その後4月に21世紀の浄土真宗を考える会が事業登録されて、私も正式に会の布教使として活動…

以前と書き方が変わっている理由(S会退会者さんのコメント)

S会退会者さんからコメントを頂きました。 有り難うございました。 いつも安心問答読ませて頂いています。 過去のエントリー(2008−06−30)を読み返していたら以下の記述が気になりました。 (長いので中略) いつでも、阿弥陀仏は十八願の世界にすべての人…

自力を捨てて弥陀をたのむか、弥陀をたのみて自力を捨てるか(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 御文章に「雑行・雑修・自力の心を振り捨てて」とか「自力なんどいう悪き心を振り捨てて」などどあるので、阿弥陀仏の救いに預かろうとした時、どうして気になる言葉です。「救われるか、救われな…

「まだまだ無理」と悩む人こそ、本願の正客です(うらやましいさんのコメント)

こうなってから救われるんだろうという思いが去りません。そういう自分は救われないのだろう(救いはまだまだ無理そうと思うから・・)、いやどんな人でも救うと言われているではないか・・、でもこんな他人の言動にとらわれて抜け出せない自分は無理そう・…

「求道」とは、「過程を求める」ではなく「白道を求める」こと(通りすがりさんのコメント)

通りすがりさんのコメント 阿弥陀仏に救われようと、阿弥陀仏に向かおうと取り組み、もがく過程を求道というなら、信仰が進む、進まない、という表現はあまり違和感を感じないのですが、実際に救われた人から見ると、違和感ある表現なのでしょうか?(通りす…

早く救われる人と、そうでない人違いを考えると言うこと(Rudelさんのコメント)

一生懸命善根功徳をつんで宿善を厚くして、救われる・・・という教えではなく、 ただ今の無条件のそのままの救いと、いつも教えていただきます。 ですが早く救われる方もいればそうでない方もおられるのはなぜでしょうか。 過去世の行いや今生での聞き方が人…

「善をしなければ信仰は進まない」について、コメント紹介(抜粋)

お題「善をしなければ信仰は進まない」ってどう思いますかに多くのコメントを頂き有り難うございました。一つ一つのコメントに、いろいろ知らされることがありました。一つ一つのコメント全てになにかこちらで書くには量が多いので、コメント全文は別のエン…

「善をしなければ信仰は進まない」ってどう思いますか・コメント結果一覧

第1回お題募集に沢山のコメントを頂き有り難うございました。 大変すばらしいコメントが多く寄せられましたので、一つの独立したエントリーとして公開します。第2回お題も、そのうち募集いたしますのでよろしくお願いいたします。以下は、今回よせられた、…

求道というマラソンのゴールに待っておられる阿弥陀仏ではありません・立撮即行(頂いた質問)

お題へのコメントは、18日(日)中に頂いたコメントで、一度まとめようと思います。まだ募集しておりますので、コメントをされる方はこちらへメールで頂いた質問について、回答いたします。 どうしたら、救われて当然の本願という地点に立てるのでしょうか…

阿弥陀仏に向かわない者を追いかけるのが阿弥陀仏(?さんのコメント)

お題へのコメントは、まだ募集しておりますので、コメントをされる方はこちらへ?さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 私は阿弥陀仏のみ心を知ることが大事だと思い、阿弥陀仏に向かってきたつもりですが、本当にただ今頂けることがあるの…

「善をしなければ信仰は進まない」ってどう思いますか?コメント募集

今回のエントリーはいつもと趣向を変えて、みなさんのご意見をコメントで募集したいと思います。 「お題」とタグをつけましたが、不定期にみなさんがこのことにどう思われているか「お題」を出して、コメントを公募いたします。このブログはコメント承認制で…

阿弥陀仏に向かうとは(みかみさんのコメント)

みかみさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 「阿弥陀仏に向かい、ただ今阿弥陀仏に救われる」ことが、大切なのはわかるのですが、どう向かえばいいのかが、わからないまま、ただ日が過ぎていっております。 目をつぶり合掌して阿弥陀さま…

正しく理解することと、救いについて(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 あてにならない自分の心を頼りにして生きているから、不安なのだと思います。 本願を聞いて、その文面どうりに受け取れなくて、自分の思いで本願を理解していますが、その間違った思いを正して、…

疑いを無くして信じた人でないと助からないか(maryさんのコメント)

maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 キリスト教などでは「神を信じるものを救う」と言います。(信心も救いも定義はあいまいですが・・)疑い深い自分は、見たこともない神を信じることはできないから、救われないと思っていました。…

「救い」とはどういうことか?(はてな?さんのコメント)

はてな?さんからコメントを頂きました。有り難うございました。 ただ今救うという本願に、ただ今救われて下さい。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091008/1254989295 この「救い」とは、具体的にどういった内容のことなのでしょうか? これまでのエント…

阿弥陀仏は私のために願を建てられた(ロシュさんのコメント)

ロシュさんからコメントを頂きました。有り難うございました。 自分のこころをどれだけ見てもそこにまことはないのだから、阿弥陀仏を仰いでくださいということをよく言われますが、どうしても自分の心にばかりとらわれてしまいます。また、自分の存在に対す…