安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

真剣になれない人にはなれない人のための南無阿弥陀仏があります

寸暇を惜しんで仏法を聞いたとか、真剣に求めて行かれた話を聞くと、自分のような者は、とてもそのようになれないので、まだ救われないのではないかと思ってしまいます。(頂いた質問)

回答します。
他人の体験談を見聞きしますと、人によっては「とても自分とは境界の違う人だ」と思うようなことをしたと言われる方もあります。
そのような体験談を聞きますと、あのような立派な人にならなければ、真剣にならなければ、救われないと思ってしまいますがそうではありません。

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。(歎異抄3章

善人は善人のまま救われますし、悪人は悪人のまま救われるというのが阿弥陀仏の本願です。
私一人のための南無阿弥陀仏が、私を救って下さるのですから、善人は善人のための南無阿弥陀仏があり、悪人は悪人のための南無阿弥陀仏があるのです。

別の言い方をすれば、精進できるひとを救う南無阿弥陀仏もあれば、懈怠な人を救う南無阿弥陀仏もあるのです。自分が懈怠で、強い気持ちになれないと思っていても、その私を助けるための南無阿弥陀仏があるということです。

あの人のようにならねば救われないと言うことはありません。あの人はあの人で、私は私で救われるのが阿弥陀仏の本願です。