安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

補足・「悪人」について

前回のエントリーの補足として書きます。
コメントにありました

我が身の罪の深さを自覚して「罪つくりの悪いものだ」との自覚のある人(maryさんのコメント)

が、悪人ということではありません。

こういう自分自身に対する罪悪観は、一人一人異なるものです。
罪の自覚がないのは、自分がまだ阿弥陀仏の照育が不十分だから、まだまだ時間がかかるのだと考えてしまいますが、そうではありません。
阿弥陀仏の光明を例えて、柿が日光に照らされてだんだんと熟柿になるという例えもありますが、それは振り返って「遠く宿縁を慶べ」ということであって、現在の自分が救われていないことの理由にする譬えではありません。
「いや、自分はまだご縁が浅いですから」というのは、自分で作り上げた考えです。

ご縁が浅いから、阿弥陀仏は私に近づいて下さるのです。

悪人かどうかは阿弥陀仏が私をご覧になられた上の姿であって、自分での自覚ではありません。
また、阿弥陀仏からご覧になられた悪人だから、阿弥陀仏は大慈悲をおこされて何とか救おうとされているのです。

悪人正機ともいわれますが、「縁が浅い」という言葉も救済から遠いという意味で読めば悪人です。
悪人こそ阿弥陀仏の救いのお目当てですから、必ず救われることがあるのです。