安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

プロフィールの改訂と、布教使として思うこと

プロフィールを少し改訂しました。
21世紀の浄土真宗を考える会 布教使」と書き加えました。
今年の1月以来、プロフィール欄に実名と住所を公開しました。
その後4月に21世紀の浄土真宗を考える会が事業登録されて、私も正式に会の布教使として活動をしておりました。しかし、コメント欄は以前のままだったことを思いだし、改訂しました。

本日、コメントを頂いた過去のエントリーを見て思ったことを書きます。
2008年当時は、親鸞会にいたと言うこともあり、組織の人間として組織を守ろうという意識があったと思います。

しかし、現在は21世紀の浄土真宗を考える会の設立に賛同し、自分の意志で文字通り現在から未来100年の浄土真宗を考える活動の核となって、布教使として活動をしております。

会の名前に、浄土真宗を掲げる以上、浄土真宗の教えを正しく伝え、一人でも多くの方が阿弥陀仏に救われ浄土往生を遂げられることを念じて、自信教人信の活動をさせていただいております。

選択本願は浄土真宗なり(御消息

阿弥陀仏の第18願、選択本願を浄土真宗と親鸞聖人は仰いました。

阿弥陀仏の本願は、苦しみ悩む者を捨ててはおかれぬ阿弥陀仏の大慈悲によって建てられた本願です。その阿弥陀仏の救いを私たちに差し向けて下されるのです。

信心数え歌にあるように「助くる弥陀が手をさげて まかせてくれよの仰せ」が、阿弥陀仏の本願です。

ですから、浄土真宗の看板を掲げるところが、人を苦しめたり、人からものを差し出すように要求したり、人に頭を下げさせるようなことがあってはなりません。
苦しむ人の苦しみに共感し、ともに立ち上がり、浄土往生の身に救われるのが浄土真宗です。
苦しむ人の苦しみに気がつかず、それどころか弱みにつけこむことで更に苦しめ、ただ今の救いを遠くにしてしまうのは、浄土真宗ではありません。
また、浄土真宗の言葉を使って、自分の願いを叶える手段にするのも、大間違いです。

浄土真宗といっても名ばかりの団体、名ばかりの布教使にならないようによくよく自戒しなければなりません。

すでに親鸞会を離れて10ヶ月ほど立ちますが、プロフィール欄を書き加えたことできっぱり過去と決別し、真の浄土真宗の布教使の信念で活動していきます。
親鸞会のことで苦しまれている方、過去に苦しい思いをされている方の力になりたいと思います。

いろいろと勉強中の身ですが、一人でも多くの方が、ただ今阿弥陀仏の本願に救われる事を念じております。
ブログをいつも読まれている皆様へ一言申し上げました。
これからもよろしくお願いいたします。