安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「まだまだ無理」と悩む人こそ、本願の正客です(うらやましいさんのコメント)

こうなってから救われるんだろうという思いが去りません。そういう自分は救われないのだろう(救いはまだまだ無理そうと思うから・・)、いやどんな人でも救うと言われているではないか・・、でもこんな他人の言動にとらわれて抜け出せない自分は無理そう・・、迷走するばかり。
(うらやましい さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091021/1256129656#c1256247797

質問形式のコメントではありませんが、エントリーします。
阿弥陀仏の救いは、現在の自分から、より良い状態にならないと救われないものではありません。

確かに他人の言動を、見聞きすると「あの人は真剣な人だ」とか「あの人は相当悩まれている」など自分と比較する心が出てきます。
しかし、相手にするのは阿弥陀仏であって、他人の言動ではありません。

助ける阿弥陀仏からすれば、助ける相手である私に対して、「あとこれだけ修行できたら助けよう」「まだまだ無理そうと思わなくなったら助けよう」というように思われません。
実際に助ける相手がどんな人であれ、真実信心には関係がありません。

おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。(教行信証信巻

身分も、性別、年齢、罪の多少、修行の多い少ないなどは関係ないと言われています。

自分がこれだけ変わらねば助からないというのは、私の思いであって、阿弥陀仏の思いは違います。現在このように苦しんでいる人を、今すぐ助けようと思っても、まだ無理だとは思われません。まだまだ無理と思って苦しむ人にこそ、阿弥陀仏の大慈悲心は働きかけています。
阿弥陀仏は、必ず救って下さいます。