安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2012-01-01から1年間の記事一覧

私が、いまの私としてこの時代この場所に生まれてきたのも阿弥陀仏のお計らいです(頂いた質問より)

信心決定して、浄土に生まれる身になったならば、つらいことがあったなら早く死んだ方がいいように思いますが、いかがでしょうか?(頂いた質問) 阿弥陀仏の本願は、本願を信じ念仏せよと誓われています。本願を信じよだけではなく、「乃至十念」と念仏をせ…

「助ける法」を聞くと「で?」となる構造について考える

阿弥陀仏の助ける法を聞くと、私たちはどうしても「で?」と疑いを差し挟んでしまいます。 このブログでもいろいろと取り上げてきましたが、いくつか例を挙げると 例1 A「阿弥陀仏の本願はただ今助ける本願です」 B「ではどうやって助けてくださるんですか…

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親鸞会機関誌にみる、内向き指向の親鸞会 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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「真実を聞け」とこちらが言うと「何もするな」と聞こえるらしい「静かな劇場」 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「もちろん悲しいかな18願の他力念仏は称えられません。だからといって、念仏称えることは間違いですか?」(りきいしさんのコメントより)

りきいしさんのコメントから思ったことをかきます。 もちろん悲しいかな18願の他力念仏は称えられません。だからといって、念仏称えることは間違いですか?(りきいしさんのコメントより) http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20121006/1349513777#c134978501…

「私が本願を知って、本願に誓われてある通りになろうともしないで、本願の通りになる、ことなどあるのでしょうか?」(りきいしさんのコメントからの問答)

りきいし 2012/10/06 02:33 私が本願を知って、本願に誓われてある通りになろうともしないで、本願の通りになる、ことなどあるのでしょうか? yamamoya 2012/10/06 04:53 りきいしさん本願を知らずに本願通りになるということはありません。しかし、本願を聞…

「一心正念でないのに念仏称えることは、一心正念になろうと努めていることにはならないのですか?」(りきいしさんのコメントより)

りきいし 2012/10/05 02:43 そういう本願を、一心正念でない者に呼びかければ「一心正念になろう」と努める心を生じさせるところに、阿弥陀仏の狙いがあるのではないでしょうか? http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20121004/1349341394#c1349372589 yamamoya …

考えてみると阿弥陀仏の本願は「信楽の心を得た人を必ず往生させる」「本願を信じて念仏する者を必ず往生させる」であり「今、必ず信楽の心にしてみせるという本願」でないのではないでしょうか。(アドウチさんのコメント)

アドウチ 2012/10/04 09:49 質問があります。宮田さんはいつも、阿弥陀仏の本願は今必ず私を救い取る本願であると言われています。でも考えてみると阿弥陀仏の本願は「信楽の心を得た人を必ず往生させる」 「本願を信じて念仏する者を必ず往生させる」であり…

話は分かりますが、私はただ今助かる気がしません(頂いた質問)

話は分かりますが、私はただ今助かる気がしません(頂いた質問) 私が助かると思うから助かるのではありません。その点で、「助かると思えない」とか「助かると思える」の自分の心のありようを気にしても意味のないことです. (13) 本願力にあひぬれば むな…

「すべて他力なので、私が「聞く」という「行為」も本来は必要としないのです」についてのコメントと追記

「南無阿弥陀仏を聞くのは誰でしょうか?」(ぱるるさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)のコメント欄から、抜粋したものと、それに関連して追記したものをエントリーします。 こむら 2012/09/25 17:15 yamamoyamaさんへ>すべて他力なの…

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「嘆かわしい」というばかりで何も中身がない静かな劇場 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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微塵劫かかっても救われないのが親鸞聖人の教えという静かな劇場管理人 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「南無阿弥陀仏を聞くのは誰でしょうか?」(ぱるるさんのコメント)

ぱるる 2012/09/24 12:13 南無阿弥陀仏を聞くのは誰でしょうか。 「わたし」は聞くことができません。 何故なら「わたし」が聞こうとする時点で自力になってしまうからです。 聞くことが(出来る・出来ない)と思うのは私の側の考えで、阿弥陀仏の仰せはただ…

「助からなくて当然」は間違いです。(頂いた質問)

「本願を聞いて疑い無い」のが信心だと聞きますが、本願を聞いた上での疑いというのがよくわかりません。この疑いが晴れなければ救われないとすれば、疑いを感じていない私は救われないように思います。(頂いた質問) 阿弥陀仏の本願は、「お前をただ今救う…

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高森顕徹会長の著書を信心の話の時に転載しないほうがいいと思います。(静かな劇場の管理人へ) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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「名号のいわれ」のタイトルで、名号のいわれを書かない「静かな劇場」 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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本願を「よく納得する」のに30年以上かかるという親鸞会講師(ブログ「静かな劇場」より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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「静かな劇場」にみる親鸞会講師部員の考えは「ただ今救われるはずがない」 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ 過去考えていたことを思い出し書きました。

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静かな劇場(親鸞会講師のブログ)「報恩講 親鸞聖人の願われたこと」の間違っている部分について - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「「捨ててから」聞こうというのは自力だからそれも捨てて、というのも結局自力になってしまうのではないでしょうか。」コメントまとめ

「信心決定にとって要る心と要らない心をわかり易く教えて下さい。」(がくとさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)のコメント欄が長くなったので、こちらにエントリーとしてまとめました。 同行 2012/09/07 18:08 >しかし、それを「捨て…

「信心決定にとって要る心と要らない心をわかり易く教えて下さい。」(がくとさんのコメント)

がくと 2012/09/07 03:04 「必ず助かると思え」「のような考えで法を聞くべきではない」と仰っていますが、 助かるには私の側の思い、言葉を変えると「信じる心」が必要ということと理解しますが、 片や「私の側で添えるものは何もない」ともよく仰っていま…

追記:「救われたいと思う」と「救われると思う」の違い

「阿弥陀仏の本願が、今自分に働きかけて下さっていることを、いつもどう偲ばせていただけばいいのでしょうか。」(香取さんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)の追記としてかきます。 コメントをくださった香取さんは、「本願に救われたい…

「阿弥陀仏の本願が、今自分に働きかけて下さっていることを、いつもどう偲ばせていただけばいいのでしょうか。」(香取さんのコメント)

香取 2012/09/02 03:30 質問させていただきます。阿弥陀仏の本願に救われたいと思い、念仏をとなえたり、仏教の本を拝読したりしています。しかし、自分の思いや理解を深めることに一生懸命でないかと最近思われてきます。方向が逆になっているのかも知れま…

「因果の道理を学ばなければ救われませんか?」(頂いた質問)

因果の道理は仏教の根幹である」と聞かされてきました。仏教の根幹というくらいですから、これを知らなければ何も始まらないように思います。因果の道理を学ばなければ救われないのでしょうか?(頂いた質問) 阿弥陀仏の救いに、「まず因果の道理を知らねば…

阿弥陀仏の願心について

bsfさんのコメントからエントリーを書いたものの追記として書きます。阿弥陀仏の本願は、もともと修行できるような人を目当てに建てられたものではありません。煩悩具足の凡夫を目当てに建てられたものです。 煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をは…

本願と信心の沙汰について(アドウチさんのコメント)

アドウチ 2012/08/25 02:31 本願は、私の心の状態に関係なく救って下さると聞いていますが、その反面 信心の沙汰 をして自分の心をありのままに打ち出すことが大事だとも聞いております。 この前者と後者の違いをどう解釈すればいいのでしょうか。 http://d.…

「計らうのは自力、その計らいを捨てることも阿弥陀仏の働きなら、救われた人とそうでない人の違いは何のでしょうか。」(bsfさんのコメント)

bsf 2012/08/24 19:10 阿弥陀仏の呼び声を聞こうと何かしようとするとすべて自力。 かと言って何もしなければ、ほんとに何もしてないだけ。 というよりも、救われるために何もしようとしないのもやっぱり自力。自分の計らいをすてて、そのまま聞くだけという…

「十刧安心との違いを説明していただけませんか。」(田中屋さんのコメントより)

田中屋 2012/08/22 20:01 十刧安心との違いを説明していただけませんか。 よろしくお願いします。 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120822/1345627431#c1345633265 十劫安心とは何かについて最初に書きます。御文章に十劫安心について以下のように書かれて…

「才市が仏で、仏が才市であるところに「なむあみだぶつ」がある(日本的霊性 鈴木大拙著より)

最近読んだ本より紹介します。日本的霊性 (岩波文庫)作者: 鈴木大拙出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1972/10/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 45回この商品を含むブログ (60件) を見る 「なむ仏はさいち(才市)が仏でさいちなり。 さいちがさとりを…

どうしたら信心決定できるかと考えるのはよくないと聞きますがなぜでしょうか?(頂いた質問)

どうしたら信心決定できるかと考えるのはよくないと聞きますがなぜでしょうか?悩んでこその聞法求道ではないでしょうか?(頂いた質問) どうしたら、どうしたらと心配したり悩んだりすることは決してよいことではありません。 お尋ねの文章から理由を二つ…