安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

2013-01-01から1年間の記事一覧

「救いに必要のない『私』を捨てよと阿弥陀仏は言われていますの言い回しは、たとえば『救いに必要のない「私」は捨てものだと阿弥陀仏は言われています』でないと、誤解のもとになるのではないでしょうか。(ループさんのコメント)

前回のエントリー(「信じる」こともできず、また「自力を捨てる」こともできない者が、「『ただ今救うぞ』という阿弥陀仏の仰せを受け入れること」はできるということでしょうか?(ループさんのコメントより) - 安心問答(浄土真宗の信心について))への…

「信じる」こともできず、また「自力を捨てる」こともできない者が、「『ただ今救うぞ』という阿弥陀仏の仰せを受け入れること」はできるということでしょうか?(ループさんのコメントより)

ループさん、ventureさんから前回のエントリーについてコメントを頂きました。お尋ねのあった部分について書きます。 ループ 2013/09/01 16:36 お答え頂き有難うございます。>他力の信心と言われるものは、阿弥陀仏の仰せを受け入れただけです。「信じる」…

自力を捨てよとは「無理とわかり切っていることをすすめられるものでしょうか」(ループさんのコメントより)

ループ 2013/08/30 20:45 お答え頂き有難うございました。 南無阿弥陀仏は >「めでとうしなして」をせずに、ただちに来れという意味になります。 とのお答えです。しかし、片や南無阿弥陀仏とは >救いに必要のない「私」を捨てよ ということだと仰る。矛盾…

救いに必要のない「私」と、自力を捨てるのは「私」の仕事ではないの「私」について(ループさんのコメント)

前日のエントリーに頂いたコメントについて書きます。 ループ 2013/08/30 02:44 お聞きいたします。 >救いに必要のない「私」を捨てよと阿弥陀仏は言われています。これはどの経文のことを仰っておられるのでしょうか。 ここで仰った「私」と、>どれだけ「…

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問)2_自力はどれだけ捨てようとしても自力になる理由

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 信心に対する「疑い」について、前回に引き続き書きます。疑いについて、別の言葉でよく使われるのが「自力心」または「自力の心」です。 横超とは、本願…

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問)

疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは具体的にどのようなものをいうのでしょうか?(頂いた質問) 親鸞聖人の書かれたものの中で、疑いについて言われている部分はいくつもありますが、その中から今回は一つ紹介します。 疑いを無明といわれた部分 「摂取…

「どのようにすれば妙好人になれるでしょうか。」(ぱるるさんのコメントより)

ぱるるさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ぱるる 2013/08/22 01:01 質問です。 真宗では救われるということは浄土往生のことですよね。けれど世間で救われるという言葉は悩みがなくなったり、希望がわくことだと思います。そのように言…

「今ではなくても、あるとき救われるように思っています」(頂いた質問)

8月20日の記事を読み私も同じように考えています。阿弥陀仏に救われる方法はないと聞けば、どうしたらいいのかと考える一方、今ではなくてもあるとき救われるのではないかと期待をしています。(頂いた質問) 阿弥陀仏の救いを、距離はともかく遠くに眺め…

「私の心の内を正直に言えば、何かで心がある到達点にいたってはっとわかるんじゃないかと思っています」(頂いた質問)

阿弥陀仏の本願をそのまま聞く一つだと聞いております。しかし、私の心の内を正直に言えば、何かで心がある到達点にいたってはっとわかるんじゃないかと思っています。そして、その状態を待っている状態です。これでよいものかと思いながら、そうするしかな…

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十劫安心の定義は教学聖典の通りに覚えたら間違いです(親鸞会機関誌顕正新聞平成25年8月1日号より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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「この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。」(1年生さんのコメント_安心問答より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ 1年生さんのコメント内容から判断して、…

「『後生の一大事を解決した人』は、死後がどのようにわかるようになるのでしょうか?」(ひなさんのコメント)

ひな 2013/08/16 09:32 山も山さん、「信後の死後の見え方」についてお尋ねしたいと思います。私は今まで「後生の一大事」が気になって、仏教を聞いてきました。 と言っても、死ぬのが怖くて仕方がなかったという訳ではありません。 私は「無常観」よりも「…

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親鸞会でいう「五重の義」について思うこと(宿善は、善をすることで厚くなるは本当か?) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「信前の「罪悪観」と「悪果を恐れる気持ち」は、信後どのように変化するものなのでしょうか?」(ひなさんのコメント)

ひな 2013/08/11 09:20 山も山さん、「信後の罪悪観」についてお尋ねしたいと思います。親鸞会にいた時は、人や生き物に対する罪悪しか見えていませんでした。 人や生き物に対して悪を造ると、(こんなことをしていたら、ロクな結果が来ないぞ・・・)という悪…

「そのまま」が分からない。そのままはそのまま、他の何物でもないんでしょうけど。獲信のときに気付くことであって、今の私には知り得ないことなのかな。(でんさんのコメントより)

前のエントリーのコメント欄より、でんさんのコメントについて思ったことを書きます。 「そのまま」についてです。 たかぼー 2013/08/08 11:30 「そのまま救う」という如来の仰せについては、既にいろいろなところで聞いていると思いますが、ご質問されてい…

阿弥陀仏に救われるとは、阿弥陀仏の仰せをそのまま聞くということですが、そのまま聞くための心の向きというのはあるのでしょうか?(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われるとは、阿弥陀仏の仰せをそのまま聞くということですが、そのまま聞くための心の向きというのはあるのでしょうか?阿弥陀仏に救われたいと思うものの毎日変わらない日々を過ごしております。(頂いた質問) 阿弥陀仏に救われたいの思いと「…

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「十九願で勧めれれている修善は、無上仏にむかって力いっぱいする善だから、純粋な心が問われます。 では、自分はどうか。」(顕真平成25年7月号より)を読んで思い出した唯信鈔のお言葉 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

信後に「煩悩の見え方」は変化するものなのでしょうか?(ひなさんのコメントより)

ひな 2013/08/01 17:01 山も山さん、「信後の煩悩の見え方」についてお尋ねしたいと思います。私は親鸞会で「煩悩即菩提で、苦しみが喜びに転じ変わる絶対の世界がある。」と長年聞かされ続けてきました。 その為、親鸞会にいた時には(獲信すると精神構造が…

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法友通信「仏智疑う罪深し 破れるまで進め」(親鸞会機関誌・顕真平成25年7月号)を読んで思ったこと - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

南無阿弥陀仏を聞いたのが信心だと聞きましたが、どう聞いても信心とはならないと感じています。どう聞いたらよいのでしょうか?(頂いた質問)

南無阿弥陀仏を聞いたのが信心だと聞きましたが、どう聞いても信心とはならないと感じています。どう聞いたらよいのでしょうか?(頂いた質問) 南無阿弥陀仏を「どう聞くか」ということには、答えはありません。なぜなら「どう」という自らの計らいを頭に付…

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批判をかわしていくうちにますます支離滅裂になった親鸞会の善の勧め(顕正新聞平成25年7月15日号論説より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

「信心を頂く」とは「自然と念仏が出てくる心を頂く」ということですよね?(ひなさんのコメントより)

ひな 2013/07/23 17:03 山も山さん、「信後の念仏」についてお尋ねしたいと思います。信後に一番大きく変わったことは、「念仏と自分との関係」です。未信の時は、お念仏を獲信の足しにしようという「下心」が、どうしても拭い切れませんでした。 お念仏を称…

脱会ブログを更新しました。 先ほどの更新URLをはり間違えました。 「『雑毒の善』ならやらない方がいいのか」(顕正新聞平成25年7月1日号論説および親鸞会公式サイト掲載)を読んで思ったこと - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

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なぜ高森顕徹会長や講師部員およびネット対策員は退会者にあれほど上から目線なのか?を考える - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ

法蔵菩薩が五劫思惟されたなどのことを、信後の人はどのように知らされるのでしょうか?(ひなさんのコメントより)

ひなさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 ひな 2013/07/19 08:36 (略) 以前の私にとっては「仏願の生起本末」のすべてがお伽話でした。 今でも一部分は、お伽話のままです。 私には全部わかるだけの智慧がないから、お伽話の部分が残っ…

「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」とは「阿弥陀仏の本願が私の為に建てられたことに疑いが無い」ということですよね?(ひなさんのコメントよりう)

ひな 2013/07/18 08:39 山も山さん、「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」ということについてお尋ねしたいと思います。随分と前のことになりますが、私は「妙好人善太郎さん」の言葉を読む機会に恵まれました。 その中で特に印象に残った所を書き出し…

「仏縁が深い人、という言い方は使ってもいいのでしょうか?」(かちかち山さんのコメント)

かちかち山 2013/07/14 20:41 仏縁が深い人、という言い方は使ってもいいのでしょうか? http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130713/1373705950#c1373802108 現在も本願を信じ念仏して喜んでいる人を指して使うのはいいのではないかと思います。 たしかに、「…

「真宗人としての理想的な死に方(臨終の迎え方)」というものがあるのなら教えてください。(ひなさんのコメントより)

ひな 2013/07/14 23:18 「真宗人としての生き方」が出たついでに…と言ってはなんですが、「真宗人としての死に方」についてお尋ね致します。 加茂仰順和上は、「やはり、真宗も臨終が非常に大事なんです。(参らせてもらいます)と思うて、息を切りなさい。」…

「神を信じていないなら、地域の人たちとうまくやっていくために、神社でお祓いをしてもらい、祭りにははっぴを着て町を練り歩き、社殿も古くなってきたので建て替え費用を集めにきたら支払って、適当に合わせてやっていけばよいのでしょうか。」(おさびしやまさんのコメントより)

おさびしやまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。 おさびしやま 2013/07/14 13:14 (略) 平太郎のような状況は、今日ではそうそうないということですが、私の住む地域では、毎年3つの神社から神社費を集めにきますし、集める係りも回っ…

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高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)の言う「宿善をつむ」表現の変遷について - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ