安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

南無阿弥陀仏を聞いたのが信心だと聞きましたが、どう聞いても信心とはならないと感じています。どう聞いたらよいのでしょうか?(頂いた質問)

南無阿弥陀仏を聞いたのが信心だと聞きましたが、どう聞いても信心とはならないと感じています。どう聞いたらよいのでしょうか?(頂いた質問)

南無阿弥陀仏を「どう聞くか」ということには、答えはありません。なぜなら「どう」という自らの計らいを頭に付けて聞いてもそれは計らいを入れて聞いているに過ぎないからです。

言葉を変えれば「どう聞く」ではなく、南無阿弥陀仏を聞いて、聞いた通りに思えるかどうかということです。


南無阿弥陀仏のいわれからいえば、阿弥陀仏が私を助けるために本願を建てられ、それが成就されたお姿そのものです。
今回は、安心決定鈔のご文から紹介します。

第十八の願をこころうるといふは、名号をこころうるなり。名号をこころうるといふは、阿弥陀仏の衆生にかはりて願行を成就して、凡夫の往生、機にさきだちて成就せしきざみ、十方衆生の往生を正覚の体とせしことを領解するなり。
かるがゆゑに念仏の行者、名号をきかば、「あは、はやわが往生は成就しにけり、十方衆生、往生成就せずは正覚取らじと誓ひたまひし法蔵菩薩の正覚の果名なるがゆゑに」とおもふべし。(安心決定鈔_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P1387)

http://goo.gl/9MaLFz

ここで「十方衆生の往生を正覚の体とせしこと」というのは、後半に出てくる「十方衆生、往生成就せずは正覚取らじと誓いたまひし」と同じことです。本願文で言えば「若不生者 不取正覚」と誓われている部分です。
十方衆生が浄土往生できなければ、正覚を取らないと誓われたのが法蔵菩薩でした。その法蔵菩薩の願が成就して、阿弥陀仏となられました。その阿弥陀仏のお働きが、ただ今の南無阿弥陀仏です。

ですから、南無阿弥陀仏をただ今称えているということは、法蔵菩薩の願がすでに成就して「十方衆生の往生」する働きが私に働いているということです。

そこで、南無阿弥陀仏を聞けば「あは、はやわが往生は成就しにけり」と聞こえるということです。逆に言えば、南無阿弥陀仏は「お前の往生は成就したぞ」との阿弥陀仏の仰せです。その仰せの通りに聞いて、思うことは「あは、はやわが往生は成就しにけり」ということになります。

そのように聞くのではなく、阿弥陀仏の仰せを聞いた通りに思うとそのようになります。

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8月25日(日)に、ご縁があって愛知県西尾市に行くことになりました。
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