安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「神を信じていないなら、地域の人たちとうまくやっていくために、神社でお祓いをしてもらい、祭りにははっぴを着て町を練り歩き、社殿も古くなってきたので建て替え費用を集めにきたら支払って、適当に合わせてやっていけばよいのでしょうか。」(おさびしやまさんのコメントより)

おさびしやまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

おさびしやま 2013/07/14 13:14
(略)
平太郎のような状況は、今日ではそうそうないということですが、私の住む地域では、毎年3つの神社から神社費を集めにきますし、集める係りも回って来ます。神社の清掃や祭りの世話役、厄年のお祓いも回って来ます。断ると奇異な目で見られますし、神社費を断ったとき、帳簿に私の名前が赤字で書かれたこともあります。自ら進んでかかわるつもりは全くありませんが、地域で当たり前にやっていることにかかわらない私は異端視されています。神を信じていないなら、地域の人たちとうまくやっていくために、神社でお祓いをしてもらい、祭りにははっぴを着て町を練り歩き、社殿も古くなってきたので建て替え費用を集めにきたら支払って、適当に合わせてやっていけばよいのでしょうか。真宗人の生き方としてどうすればよいでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130713/1373705950#c1373775278

平太郎さんのようなこととと前回のコメントに書いたのは、神事に参加しないと仕事を失い、生きていけなくなるという意味合いで書きました。わかりにくい表現だったことをお詫びいたします。

おさびしやまさんが、今回書かれたような状況は確かに今日でもあることだと思います。状況を詳しく書いていただきよくわかりました。


コメントに書かれていることからすると、教義的に神社関係にかかわらない方がよいとはわかっているものの、住んでいる地域は神社関係の行事が多くて困っているということが分かりました。

親鸞聖人が、神信心を厳しく戒められたのは、信心は何によって定まるのかという点において、神信心を廃して、本願念仏一つと勧められたからです。生活上のさまざまなことを規制することを目的とされたものではありません。

コメントにも書かれている通りで、神社でお祓いや、神社の会費を集めること自体は、決して「奨励される」ことではありません。ただ、生活上いろいろと避けられないことがあるのならば、ある程度基準を設けられたらよいと思います。

神社費など、事実上町内会費に近い金銭的に解決がつくものと、お祓いなどの明確に宗教行為と見なされるものに分けて、前者の場合は人間関係を円滑にする必要経費と思われたらよいのではないかと思います。後者に関しては、お祓いというのがどの程度強制力をもった行事なのか私はわかりませんが、あまり参加しないようにする方がいいと思います。地元行事にほぼなっている祭りに関しては、その時々の状況によると思います。いずれにしろ余りお勧めはしません。


そこで、それらの神道などの宗教行為やそれらにかかわることについての考え方ですが、「それらにかかわらないからよし」で終わって、本願念仏が抜けていてはただの「好き嫌い」という話になってしまいます。いわゆる「アンチ神道」であって、真宗の念仏者とはいえません。

親鸞聖人は、阿弥陀仏の第十八願の通りに「本願を信じ念仏申しなさい」と教えていかれたのであって、「アンチ神道になれ」と言われたのではありません。


一生活者として生きていく上では、冠婚葬祭などで真宗以外のことにかかわることは必ず出てきます。それらを避けて生きていくことだけをもって念仏者だというのは間違いです。それらと避けることだけをもって「われは親鸞学徒」と言っている団体もありますが、そういうものではありません。いろいろなしがらみに囲まれながら、本願念仏一つに心を定めて念仏申しつつ浄土往生に向かっていくことが大事です。どうしても避けられないことは、仕方がないことです。ただ、大事なことは、本願を信じ念仏することです。そこがぶれないのが一番大事なことです。