ひなさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
ひな 2013/07/19 08:36
(略)
以前の私にとっては「仏願の生起本末」のすべてがお伽話でした。
今でも一部分は、お伽話のままです。
私には全部わかるだけの智慧がないから、お伽話の部分が残っているのは、仕方がないことだと思っているのですが・・・。1 今でもお伽話の部分(私の為に大変な御苦労をして下さったのだな・・・と漠然と思うだけの部分ということです。)
・一劫の間、諸仏の浄土のいわれとそこに住む者達の優劣を観察された。
・五劫の思惟をされた。
・兆載永劫の修行をされた。2 お伽話ではなくなった部分
・私がこんな奴だから、阿弥陀様は本願を建てて下さったのだということ。
・私が何もできないから、阿弥陀様は「南無阿弥陀仏」一つで私を救おうとされたのだということ。山も山さん、もう少し教えて下さい。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130718/1374138531#c1374190585
信後の人は、1の部分をどのように知らされるのでしょうか?
(略)
どのように知らされるのか?については、目の当たりにするようではなく、聴聞やお聖教の拝読で知らされるというのが適切だと思います。
なぜそうなるのかについては、最初に、法蔵菩薩がどのように願を建てられたのか、またどのように願を成就されたのかについては私たちは過去にさかのぼって知る智慧もないので知ることができません。しかし、その阿弥陀仏あるいは法蔵菩薩のご苦労を教えて下されるお釈迦さまの説かれたお経によって知ることができます。
本来、法話と言うのは阿弥陀仏の本願の生起本末を褒め称えることです。また、お聖教というのはそのこと一つを書かれたものです。それを聞かせていただき、その通りだなぁと思う以上には凡夫である私に分かるところはありません。私も、そのあたりについては「きっとそのようなご苦労が合ったのだろうなぁ」と念仏申す以外にはありません。
お聖教を通して知らされるということについては、庄松同行の話が有名です。
明治4年の春、庄松さんは病の床につきました。
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ある日、一人のお同行がたずねてきて
「どうだ、お念仏をよろこんでおるか」といったとき、庄松さんは
「よろこびどころか、苦しゅうておれぬわ」といったそうです。
しかしまた親類のものやお同行が見舞いにきたときは、枕元においた「ご文章」をさして
「五劫思惟のご文章を拝読してきかせてくれ」といって、読んでもらい、それを聞きながら
「ああ、大じょうぶじゃ、大じょうぶじゃ」といってよろこんだそうです。
“それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにた すけたまわんがための方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願をたてましまして……南無阿弥陀仏となりまします。これすなはち我等がやすく極楽に往 生すべきいはれなりとしるべし……”【浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P1194】
このご文章の一句一句が、病の苦しみにさいなまれる庄松さんの心に暖かく、力強くひびいていったことでしょう。
この愚かなる身を、限り無く慈愛したまい、よびます如来、聖人の大悲のお呼び声につつまれ、支えられながら庄松さんはお浄土に帰ってゆかれたそうです。
時に明治4年3月4日のことでありました。
私がただ今、南無阿弥陀仏と申す念仏から、その念仏はどこから私のところに届いているのかと思うところに、仏願の生起本末があります。私は現在南無阿弥陀仏と念仏することについて、「なぜそうなるのか」についてはハッキリわかりません。ただ、現在念仏申しているということだけは、現実としてわかります。なぜ本来阿弥陀仏を讃嘆する南無阿弥陀仏がこんな私の口から出るのかと考えても「よく分からない」というのが実感です。
ただ、私の力ではよく判らないけれども、お釈迦様が示して下さった大無量寿経に説かれる仏願の生起本末には間違いないと聞いているだけです。どのように知らされるかについては、阿弥陀仏の本願力によってだんだんと知らされる以外にはありません。そのための、念仏生活、法を聞く生活だと思います。