安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「求道していって後生が苦になって食事がのどに通らない、夜も眠れない。そういう心境になってきたら信心決定は近いから、赤飯でも炊いておきなさい。」の出典と講師部合宿について思い出したこと

このエントリーは、4日前に一度書きました。かつて所属していた自分自身の恥をさらすような内容なので、一度書いて公開をするかどうか考えていましたが、過去を清算する意味でやはり公開することにしました。

コメントから情報を頂き、「伊藤先生の言葉ー求道語録ー」から、該当箇所を紹介します。


ある時、わしの寺へ、京都から同行が、仏法を求めてやってきた。「後生が苦になりまして、長らく、総会所で、毎日お聞かせいただいていますがーー」という。「どうして、こんな田舎のわしの所へ来たのか」というと、「頭が聞いても、この胸が聞いてくれません。出てゆく後生が、苦になりましてーー」という。わしの『仏敵』を読んで、たずねてきたのだそうだ。
夕方まで話し込んで、晩ごはんを出すと、メシを四ハイも五ハイも食いよる。「うまかったか」と聞くと、「はい、おいしゅうございました」と、ケロリとしている。後生のゴの字もありませんわ。口先では、聞き覚えの後生だの、苦になりましただの言っているが、実際は、なんの苦もなっていないのですからな。
その晩に泊まって、翌朝、「よく眠ったか」と聞くと、「はい、静かですので、たいへんよく休ませていただきました」と言う。こんな求め方をしている同行は、世間にも、ようけおりますぜ。永年の間に、「後生のマト」が、外れてしまっているのですな。それでいて、自分は、求めているつもりでおる。
「後生に驚きを立てよ」というおことばの中には、深い体験がこもってありますな。(伊藤先生の言葉ー求道語録ー吾勝常晃著P38-39)

元の文章を読まれると分かられると思いますが、「ご飯が喉を通らない」「夜も眠れない」は、「信心決定の前兆」ではなく「仏法を求める心がけ」という内容で語られてます。

この文章を読んで思い出したことは、親鸞会講師部在籍時の「講師部合宿」のことでした。
「講師部合宿」とは、親鸞会学生部(学友部)に在籍していた人で参加したことがある「幹部合宿」のアップグレード版のようなものと思って頂ければ間違いはありません。要するに指摘会合です。
親鸞会講師部どうしで、「問題」(法話遅れや、法話テープの返却遅れ、目標未達成等々)をおこした講師を1人ずつ前に座らせて、200人近い講師部員で指摘し、反省を強要するというものです。かつての連合赤軍が行った「総括」から直接的暴力を除いたようなものです。

その「講師部合宿」では、上記の「伊藤先生の言葉」にそのままの内容が、「後生の問題」ではなく、「問題を起こした講師部が、その問題を如何に反省したかどうか」に使われていました。

一例をあげますと、A講師が問題を起こし、「講師部合宿」で午前中に200名近い講師から一斉指摘をうけるという場面があります。このような場合、午前で話が終わらず(A講師は反省できていないとみなされ)続きは午後に持ち越される場合がよくありました。

昼の休憩時間に、A講師は合宿中に出される昼食を普通に食べました。

午後からの指摘会合で、A講師に向かって、ある講師が叫びます。
「A講師は、昼食を笑いながら食べていました!!本当に反省していたら、食事なんか喉を通らないはずだ!!君は、全く反省していないのか!!」
それに呼応するように他の講師が「そんなの考えられないぞ!!本当に起こした問題を反省したなら食事が喉を通らない筈だ!!」といいます。

そういうこともあってか、私が参加した「講師部合宿」では、「特に大きな問題」を起こし糾弾された講師部員は昼食も夕食も取らないのが、一種の様式になっていました。
同様に、「問題」を起こして糾弾された講師は、「講師部合宿」で同じ親鸞会館に宿泊しても、1人お仏壇の前で徹夜で正座して反省している姿勢を他の講師に示すのが慣例でした。
ちなみに「大きな問題を起こした講師」が、その日に普通に寝ていると翌日。「よくも眠れたものだ。本当に反省していたら夜も眠れないはずだ」と、他の講師部員から一斉に糾弾されます。

これを読まれた方は、「親鸞会講師部はなんとアホなことをしているのだろう」と思われるとおもいます。しかし、これは紛れもない「宗教法人浄土真宗親鸞会講師部」の実態です。まさに、伊藤氏の書かれたように「『後生のマト』が、外れてしまっているのですな。」という状況です。
私が除名になってから2年10ヶ月で劇的に改善したとはとても思えません。

伊藤氏の言葉を、そのまま引用することなく、むしろ悪用しているのが高森会長です。加えて、それをさらに「獲信の前兆」ではなく「親鸞会講師部の資質」に適応しているのが「親鸞会の講師部員」です。
私も「親鸞会講師部」にいたときは、「本当に問題を起こして反省しているなら、夜も眠れない、ご飯も喉を通らない筈だ」と先輩講師からよく聞かされました。
どちらにしろ、「夜も眠れない云々」は親鸞会では、「後生が苦になる・信心決定の前兆」どころか、「親鸞会に対する信順の度合い」として語られていました。

そこから分かる事は、「後生に驚きが立つ」ことよりも「高森会長にいかに絶対的に信順するか」「親鸞会のために如何に身を捧げているか」を常に考えているのが「親鸞会講師部員」だということです。

このエントリーを読まれている方で、当時私が担当していた会員であった人もあると思います。
当時は、このような状況で偉そうなことを言っておりましたことを、この場で深くお詫びいたします。南無阿弥陀仏も、後生も何も分かっておりませんでした。そんなものが「三界の大導師だ」と「使命感」をもって活動していたのですから、本当に恥ずかしい限りです。12年前に講師部になった私にもし会うことが出来たら、何日かかっても「アホなことをするな」と説得したいくらいです。

そんな者でも阿弥陀仏は決して見捨てられません。このエントリーをもし読んでいる親鸞会講師、または会員の人があれば、直ちに会を離れて南無阿弥陀仏を聞いて救われて下さい。貴方が「親鸞会」に縛られることを、阿弥陀如来は望まれていません。
ただ今救うの仰せを疑い無く聞いて、ただ今救われて下さい。