安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「行者正受金剛心」の「行者」は善を実行する人と高森会長が主張するたった一つの根拠

行者正受金剛心の「行者」は何を行じる人?(メンデルさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)の追記です。
「行者正受金剛心」の解説について、ブログのエントリーを書いていて、親鸞会在籍時のことで思い出したことをここに書きます。

タイトルの「たった一つの根拠」は、結論から言えば、「会長の自説」であって「親鸞聖人の仰ったこと」ではありません。

私が在籍していた2年前は、親鸞会講師部が毎月一回富山県の親鸞会館に集まる支部長会議という行事が有りました。(現在も継続しているかどうかは分かりません。)
その頃は、会長の前で正信偈の解説を講師部員がし、その解説の内容を会長が批評するということをやっておりました。

エントリーに書いた「行者正受金剛心」は、私と他2人の講師部員が担当する行となり、いろいろと自分なりに調べてみました。

調べてみた結果、「行者正受金剛心」の行者は「信心の行者」であり、「廃悪修善を実行する人」という解釈はどこにも有りませんでした。
担当にあたった3人で、会長が以前法話で話をした「廃悪修善を実行するもの」とするべきか「信心の行者」として話をするべきかを、検討しました。


結論は、「間違ったことを会長の前でいうのはよくない」ということで、「行者正受金剛心」の「行者」は「信心の行者」として発表することになりました。
当日は、私以外のある講師部員が会長の前で打ち合わせ通り「行者は信心の行者」という内容で発表をしました。

それを聞いた、会長のコメントは以下のようなものでした。

「行者正受金剛心」の「行者」は、今発表した人が言ったように、本来は「信心の行者」というのが正しい。
だけど、私は「廃悪修善を実行するもの」「この横の線を進む者」と言いたい。

会長がそう言った以上は、全体の空気としてはそれに反論も出来ず、「行者正受金剛心」の「行者」は、「廃悪修善を実行する者」であり「横の線を進む者」ということに親鸞会の内部ではなりました。
今考えると、要するに「親鸞聖人は言われていないけれど、私はこう思う」という、ただの自説だったのです。親鸞聖人の教えに根拠は有りません。

「行者正受金剛心」の「行者」を、「廃悪修善を実行する者」という根拠は、ありません。それを主張するたった一つの理由は、「会長の自説」であって、「親鸞聖人の教え」ではありません。