安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「後生」が「ただ今」のこととはどういうことなのでしょうか。(さとしさんのコメントより)

前回の続きです。

さとし 2014/12/08 03:39
>なぜなら「後生」という言葉は、そのうちやってくる未来のいつかの事ではないからです。というのは、「後生」といっても、それは「そのうち」ではなく「ただ今」のことです。

「後生」が「ただ今」のこととはどういうことなのでしょうか。もう少し、ご説明願えないでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20141206/1417851637#c1417977595

後生のもともとの意味は、浄土真宗辞典から引用すると以下のものです。

ごしょうのいちだいじ 後生の一大事
後生とは後に来るべき生涯、一大事とは最も重要なことの意。転迷開悟のことで、生死の問題を解決して後生に浄土に往生するという人生における最重要事をいう。『御文章』5畳16通には「だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて」(註1204)等とある。

浄土真宗辞典

浄土真宗辞典

「後生とは後に来るべき生涯」との意味です。そこで、それを私が「ただ今のこと」と書いたのは、それは当事者にとってはいつでも「ただ今」のことになるからです。生と死が全く別のことではないように、今生と後生も全く別のものではありません。「いつ」後生となるのかと言えば、「そのうち」ではありません。「ただ今」のことです。そういう意味で、ただ今と書きました。


阿弥陀仏がただ今私を救うということは、後生というのもただ今の私の上にある問題です。未来に供えて救われようということではなく、ただ今生死に迷っている私を救うということは、上記の浄土真宗辞典の言葉を引用すると「転迷開悟のことで、生死の問題を解決して後生に浄土に往生」させるということです。


また「後生」を先のことと規定しつづける間は、やはり阿弥陀仏の救いも「先のこと」になってしまいます。「先のことではなくただ今」という点が、抜けると阿弥陀仏の救いを自ら遠ざけてしまいます。なぜなら、生死に迷っているのは「ただ今の私」であって、「この先のこと」ではないからです。そのただ今生死に迷う私を、ただ今浄土往生する身に救ってくださるのが阿弥陀仏の救いです。