安心問答(浄土真宗の信心について)

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録(松澤祐然述)「28  弘誓の船と港」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

前回の続きです。

28  弘誓の船と港

 前席より引続いて御話し申しまする、我等がこの度難度海を渡して頂く、弘誓の船の本体は。招喚大悲の喚び声にして、有情を呼ぼうて乗せたもう、その喚び声が弘誓の船として見れば。この弘誓の船の着場は何処かと尋ぬれば。横浜でなし神戸でない、船の着き場は知れたこと。彼方方の頭の両脇に付いてある、椎茸のこわれたような。その耳が、弘誓の船の港である。
 
 
 ああ皆様は結構な港を御持参ですな。高座の上から眺めて見ると、大きな港もあれば小さい港もある。しゃくんだ港も平たい港も、有るわい有るわい種々ある。アラ彼辺には随分垢だらけの港も見える、アア穢な・・・・・・・・そんな垢着た穢ない港では、とても弘誓の船は着きそうもない。
 
 
『何を仰しゃる私共の耳は、毎晩風呂で石鹸を仕用うて洗うていますよ』。

 オイオイ御同行衆、その石鹸でおちる垢をいうのでないよ、五年も十年も御座へ参って聞いてはいても。今日まで弘誓の船に乗れなんだのは。皆様の耳の中に、自力疑心という計らいの垢で、穴を塞いで仕もうてありたゆえ、弘誓の船が入港が出来なんだのじゃ。
 
 
 出来ぬもそのはず、届いた六字を脇へぬけ、確かになって明るくなって、丈夫の思いになりたいのと。自力意業の垢で固めた耳じゃもの、そんな耳では仕方がない。サア今日は浚渫工事といって、自力の垢を浚い出し。どうもなられんこのままで、乗せて渡して下さるる、船が六字であったかと。弥陀大悲の誓願を、深く信ずる一念に。貪瞋煩悩の腹底へ、届いた六字の御喚び声。
 
 乗込む世話や造作なく、助けにゃおかんと抱きしめられ、救わにゃおかんと乗上られ。寝るも起きるも大悲摂取の船の中、煩悩の波は高くとも、妄念の風はつよくとも。届いた六字の船は動かず、頼みになるも是一つ、力にするもここの味。
 
 
 縋るもまかせるも、安堵も決定も、往生一定御助け治定、平生業成不来迎、浄土真宗の信心安心のありだけは切符のような品ではない、御助けの船に乗込む一念に。思案も工夫もいらばこそ、乗せた六字の力用で。一時にそなわる信相なるが故に、一流安心の体は凡夫自力の意業でないぞ。南無阿弥陀仏の六字の相としるべしと、お示し下された御文である。

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以名摂物録(松澤祐然述)「29 断りが遅いと仏になるぞ」 - 安心問答(浄土真宗の信心について)

元本をご覧になりたい方は下記リンク先を参照下さい。

以名摂物録 - 国立国会図書館デジタルコレクション

以名摂物録

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