安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

説教本のテキスト

以名摂物録(松澤祐然述)「9 頂く品は六字の喚び声」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。 前回の続きです。 9 頂く品は六字の喚び声 毎度お話しを致しますが、何分出離解脱の大問題でありますゆえ。幾重にも聴聞の角違いのないように願いたいことで。僅…

以名摂物録(松澤祐然述)「8 受け心は受けた品に影響せず 」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。 前回の続きです。 8 受け心は受けた品に影響せず そこで受けた品さえ確かなら、受け心には用事がないことが、お分かりになりましたら。この上に、もう一つ聞いて…

以名摂物録(松澤祐然述)「7 受け心と信の一念 」

前回の続きです。 7 受け心と信の一念 段々とお話しを進めて参りますと。ここで皆様が、そろそろ不審が出てくるでしょう。成る程、信心というは御助けの届いたことをいうので、その御助けが、南無阿弥陀仏であるゆえに。南無阿弥陀仏さえ届いておれば、受け…

以名摂物録(松澤祐然述)「6 信心諍論の所詮」

前回の続きです。 6 信心諍論の所詮 受けた心地を信心とするのが、定散諸機各別の自力の人の決着で。貰った心地にかかわらず、受けた品物を信心と定めるのが、如来利他の信心に通入したるところにて。この辺の決着を、明らかにして下されたが、御伝鈔上巻の…

以名摂物録(松澤祐然述)「5 受け心は千差万別」

前回の続きです。 今回から読みやすくするために改行を加えました。 5 受け心は千差万別 不思議のご縁でお話しをさせて頂きますが、何分にも五十年や六十年の短い話しではありません。無量永劫の末までも、助けて頂く一大事のお話しでありますから、幾重に…

以名摂物録(松澤祐然述)「4 受け心と受けた品」

前回の続きです。 4 受け心と受けた品 そこで受け心というときは、必ず受けた品がなければならぬ。品が届けば受け心はただおこるべき筈である。よって当流の信心安心というは、南無阿弥陀仏の六字の相なりとしてみれば、受けた心地を信心というのではなくて…

以名摂物録(松澤祐然述)「3 受け心の詮議は無用」

前回の続きです。 3 受け心の詮議は無用 引き続いてお話しをさせて頂きますが、浄土真宗は御助けを向こうにかざっておいてたのむのではない。御助けを此方へ貰いうけたままが信心というのである事は、大略お話しを致しました。そこでその御助けを受け取った…

以名摂物録(松澤祐然述)「2 お助けを貰ったが信心なり」

前回の続きです。 2 お助けを貰ったが信心なり かくの如くお話しを進めて参りますと皆様のうちには定めて不審に堪えぬお方があるでしょう。成る程お助けを頂くが肝要に違いはないが、そのお助けを頂くには信心がなければ助けてはもらわれまい。たのむ一念の…

以名摂物録 松澤祐然述「1.弥陀はお助け商売なり」

今回は、大正7年に発行された「以名摂物録(松澤祐然著)」を紹介します。 上記は、大正7年に発行された説教本です。その内容が大変有り難かったので、順番に公開したいと思います。著作権は既に切れているのでそのまま掲載します。 以名摂物録 前編 松澤…

以名摂物録(松澤祐然述)目次一覧

弥陀はお助け商売なり お助けを貰ったが信心なり 受け心の詮議は無用 受け心と受けた品 受け心は千差万別 信心諍論の所詮 受け心と信の一念 受け心は受けた品に影響せず 頂く品は六字の喚び声 六字は相談の文句に非ず 相談しても結果は不明 名体不離 名体不…