安心問答(浄土真宗の信心について)

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録(松澤祐然述)「8 受け心は受けた品に影響せず 」

※このエントリーは、「以名摂物録(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。
前回の続きです。

8 受け心は受けた品に影響せず

 そこで受けた品さえ確かなら、受け心には用事がないことが、お分かりになりましたら。この上に、もう一つ聞いて頂きたいのは。受けた心地の善し悪しは、決して受けた品に影響せぬものである、ということを呑み込んで下されたい。是を味わって下さらぬと、受けた心地の出来不出来で、信心まで変わるように心配し。後念相続の善し悪しで、一念の信心までどうかなるように考えて。遂には安心の立場まで、石動でくるようになります。これは結構の手ぬぐいと思っても、つまらぬ手ぬぐいと思っても、それは御勝手で、手ぬぐいそのものには、少しも影響はありません。有り難いと思っても、手ぬぐいが長くなるでもなし。有り難く思わぬので手ぬぐいが短くもなりはせぬ。しかし、手ぬぐいは後念の用いようが粗末なら、早くいたんでしまいましょうが。御回向の信心は、金剛堅固の六字であるから。頂いたこちらで喜ぶと、喜ぶまいと、逃げもなさらず、失せもなさらず。後念に、沢山称えようと、又忘れ通しに致そうと。信心の体には、更に影響せず、往生の問題には、実に無関係です。喜びにあるなし位は、さておいて。一度信心を頂いてしまえば、ここで浄土参りが嫌になっても仕方はない。孕んだ種なら生まねばならぬ、孕んだ力で産むのじゃない、種の力で生まれるのじゃ。我が腹撫でて毎晩喜ぶ嫁さんも、また孕んだと困って御座る奥さんも。思いは互いに違えども、生まれることは一つこと。今日この座の皆さんが、耳の穴から心の底へ、聞こえた六字は佛種。参りたかろうとかるまいと、こちらの勝手に自由にはならぬ。宿った種が正定業、生まれるしかけは六字にある。忘れ通しに暮らしても、生まれる道は外されぬ。いやじゃおうじゃの小言なく、生まれにゃならぬお手柄を。蓮如様から聞いて見りゃ。


『いかに地獄へおちんとおもふとも(略)わがはからひにて地獄へもおちずして極楽にまゐるべき身なるがゆゑなり。』*1


 かかる手強い御手柄が、不思議の御縁で聞こえてみれば。もう参らせて貰いたいの用事はすんで。参らにゃならぬ身となれば。参りそこねば出来もせず。参るこの身はただ身でない。懐妊*2になった人ならば。立ち居振る舞い無理せぬよう、寝起きや食事の加減まで。粗末があっては、腹の子にまで障ります。いま御互いの我々は、仏の種をやどしたこの身であってみりゃ。家内眷族無理せぬよう、王法仁義のつとめぶり。欠け目があっては、仏の顔にかかわります。子供やどした御婦人は十月の間つとめにゃならぬ。仏やどした我々は、十月に限った勤めではない。老少不定とあるうえは、今日は勤めの仕舞いやら。明日が難儀の終わりやら。永いつとめと思わずに。陰や陽*3のへだてなく。念仏諸共勤めおおせるが、真仏弟子の行いであります。

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以名摂物録(松澤祐然述)「9 頂く品は六字の喚び声」 - 安心問答(浄土真宗の信心について)

元本をご覧になりたい方は下記リンク先を参照下さい。

以名摂物録 - 国立国会図書館デジタルコレクション

以名摂物録

以名摂物録

*1:御文章2帖目4通

*2:みもち

*3:ひなた