安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「これが『自分から聞きに行こう』としていることであり、『ただ今の救い』の否定だともわかりますが、どうしてもやってしまうのです。どうすればと考えること自体悪いことだともわるのですが……」(頂いた質問)

anjinmondou.hatenablog.jp
について、Peing-質問箱-に質問を頂きました。

f:id:yamamoya:20201213134418p:plain
『ただ今助けるという弥陀回向の法である南無阿弥陀仏を聞いて下さい』と言われれば、どうしてもそのように聞こう聞こう | Peing -質問箱-
これについて、質問箱には以下のように回答を書きました。

仰ることはよく分かります。私もそのように考えたことがあります。
しかし、私が聞きにいって初めて聞こえる法ではなく、すでに聞かせるように出来上がっているのが南無阿弥陀仏です。
すでに出来上がっているからこそただ今助けるという南無阿弥陀仏があります。もし、出来上がっていなければ「私が聞きに行く」という手間が必要になります。
「ただ今助ける」ということを前提にすると、いろいろとそれを否定するような考えが出てきているのだということが文面から伝わってきますが、それらはみな捨てて南無阿弥陀仏をただ今助ける法であると聞いて下さい。

これに付け加えて書きます。


質問された方は、どうしても考えてしまうとのことです。考える人に向かって「考えるのをやめなさい」ということは出来ても、それは実際にできないことだと思います。


しかし、いろいろと考えてもその結論が「これでは駄目なんですよね」では、何も考えていない状態と結論は変わりません。一度は、頭がしびれるまで考えてみるのもいいかもしれません。


なぜなら、考えて「これではだめだ」となったとして、それで本当にいいのでしょうか?まだ考える余地はあるのではないでしょうか?
考える人は、阿弥陀仏と知恵比べをしているようなものです。五劫思惟の本願を、改めて考えようとしている試みです。


貴方が自分が助かる道をひたすら考えているように、法蔵菩薩は私を助ける道を五劫思惟されました。少々考えてお茶を濁すようなことをせず、本気で考えてみて下さい。
「助かりたい私」と「助けたい阿弥陀仏」はどちらが先かを考えて見て下さい。