安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

顕真3月号の意訳がどう読んでも異訳になっている件

親鸞会発行顕真3月号「宿善と聴聞と善のすすめー弥陀の救いに値うまでー【7章】弥陀の方便と真実」を読みました。
今回お聖教のご文の「意訳*1」が、随分と意図的に改変された訳だったので、紹介します。
この連載記事は、連載開始時に会長が執筆すると発表されたものですが、記事の執筆者は明記されていない文章です。

原文が正確に訳されていないので意味からすると「意訳」ではなく「誤訳」です。しかし、ただの「誤訳」ではなく「聖人とは異なった意図でかかれた訳文」「教義上異なる意味になるように意図的に訳した」という意味で、タイトルは「異訳」としました。
以下、顕真より引用。脚注と※部分は私が加えました。

(原文)
【然るに濁世*2の群萌、穢悪の含識*3、乃し九十五種の邪道*4を出でて、半満・権実*5の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり。
偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し。ここを以て釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発して普く諸有海を化したまう。既にすでにして悲願います。修諸功徳の願(第十九願)と名づく、また臨終現前の願と名づく】(教行信証化土巻)

  • ※原文の以下の部分は省略してある
    • また現前導生の願と名づく、また来迎引接の願と名づく、また至心発願の願と名づくべきなり。(教行信証化土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P375)

(意訳)
「苦悩が絶えず、迷い深き人類は、数知れぬ外道邪教を逃れて、ようやく仏教にたどり着いても、因果の道理を信じて光に向かう者は、ほとんどなく無きに等しい。
内心は、みな外道に汚染され、善の勧めさえ非難する輩ばかりである。
悲しいこの人間の実態を見られた釈迦は、阿弥陀仏の十九願(福徳蔵)を『観無量寿経』一巻に集中して説き明かし、十方衆生にすべての善を勧められ、なんとか阿弥陀仏の十八願(絶対の幸福)まで導かんとご苦労なされたのである」
(顕真平成23年3月号P11−12)

これが一般の現代語訳とどう違うかをみるために、以下、本願寺出版から出ている現代語訳を紹介します。

現代語訳
さて、五濁の世の人々、煩悩に汚れた人々が、九十五種のよこしまな教えを今離れて、仏教のさまざまな法門に入ったといっても、教えにかなった真実のものははなはだ少なく、虚偽のものははなはだ多い。このようなわけで、釈尊は、さまざまな善を修めて浄土に往生する福徳蔵と呼ばれる教えを説いて多くの人々を誘い入れ、阿弥陀仏は、そのもととなる誓願をおこして広く迷いの人々を導いてくださるのである。すなわち、すでに慈悲の心からおこしてくださった第十九願がある。この願を修諸功徳の願と名づけ、また臨終現前の願と名づけ、また現前導生の願と名づけ、また来迎引接の願と名づける。また至心発願の願とも名づけることができる。

特に違うところは「真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。」を「因果の道理を信じて光に向かう者は、ほとんどなく無きに等しい。
「偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。」を、「内心は、みな外道に汚染され、善の勧めさえ非難する輩ばかりである。」は、だれの「意」を訳したのかと思う訳になっています。
少なくとも親鸞聖人が教行信証に書かれた「意」ではありません。

一般の現代語訳を読まれても分かりますが、この化土巻のご文は、外道をはなれて、聖道門に入っても、真実そのとおりの修行が出来てさとりを開く者がほとんどいないので、釈迦如来が福徳蔵を開かれたということです。
今日の私たちには、聖道仏教の修行に堪えられる者はほとんどいないので、福徳蔵を説かれたと言われているのです。
決して、「因果の道理を信じて光に向かう者がほとんど無きに等しい」からでも「内心は、みな外道に汚染され、善の勧めさえ非難する輩ばかりである」から、十九願を説かれたのではありません。

しかし、この十九願、二十願を化土巻に親鸞聖人が詳しく解説をされるのも、方便を捨てて真実に入ることを勧められたのであって、方便を実行して真実に入れと言われたのではありません。

「なかなか善をやろうとしないから、お前らに何とかして善をさせてやる」と阿弥陀仏が誓われたのが十九願だとこの顕真では主張しているようですが、とんでもない「意訳」です。
聖道仏教の修行が、とてもできない者のために方便として説かれた十九願ですが、それも「実行して十八願に入れ」と言われたのではありません。「方便を捨てて真実に入れ」と勧めておられます。真実とは、信心一つで救うという阿弥陀仏の第十八願の心です。
化土巻に結論として、以下のように書かれています。

三経の大綱、顕彰隠密の義ありといへども、信心を彰して能入とす。(教行信証化土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P398)

  • 現代語訳
  • 『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』の三経に説く教えには顕彰隠密の義があるといっても、みな他力の信心を明らかにして、涅槃に入る因とする。

化土巻に、19願、20願を詳しく解説されるのも、他力の信心を明らかにするためであって、「いかに善を実行することが必要か」を明らかにするためではありません。

*1:意訳・・[名](スル)原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとって翻訳すること。「こなれた日本語に―する」

*2:濁世・・五濁悪世の意。

*3:穢悪の含識・・煩悩・悪業に染まったもの。含識は心識をもつものの意。有情に同じ。

*4:九十五種の邪道・・九十五種の外道に同じ。仏教以外の宗教の総称。

*5:半満権実・・半満は半字教(小乗)と満字教(大乗)、権実は権教(方便の教え)と実教(真実の教え)を指す。ここでは聖道門