安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

方便がないと真実には入れないのですか?(頂いた質問)

方便がないと真実には入れないと聞いてきたので、やっぱりなにかしらの手段が必要ではないかと思ってしまいます。(頂いた質問)

阿弥陀仏の本願は、第18願の選択本願です。その第18願は、本願を信じ念仏するものを必ず浄土往生させるという本願です。

本願を信じるとは、本願を疑い無く信じる真実の信心のことです。その真実の信心とは、真実の行が私の上に働いておられる姿ですから、真実の行が無くては真実の信心もありません。

行とは働きのことです。私に真実信心を起こさせるお働きをいいます。

方便がないと真実に入れないというのは、如来の善巧方便によらねばならないということです。方便の行(自力諸善や自力念仏)を実行せねば、真実に入れないという意味ではありません。

真実信心については、真実の行なくして真実の信はありません。この真実の行が、如来の善巧方便です。
方便の行によって起きるのは、方便の信心です。

おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。(教行信証行巻・正信念仏偈の前文・浄土真宗聖典(註釈版)P202

上記は正信偈を書かれる直前に親鸞聖人が書かれているところです。
真実の行信と方便の行信があり。真実の行は、第17願、真実の信は第18願に誓われています。この17願と18願が、阿弥陀仏の選び取られた行信であるといわれています。
方便の行信は、選び捨てられたものです。

阿弥陀如来が、私を救うための手立てとして選び取られた真実の行が、南無阿弥陀仏です。ですから、この南無阿弥陀仏によらねば真実の信心はありません。
私の行の実践では、真実の信心とはなりません。真実信心のために、自力の行を実践せよと言う教えは、阿弥陀仏の本願にはありません。