安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「信心決定あれかし」というおすすめ(ドイツ人さんのコメント)

ドイツ人さんからコメントを頂きました。

要点をまとめると、
・信仰に段階はない
・今救われたらそれでよい
ということでしょうか?
(ドイツ人さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090322/1237672765#c1237732967

信仰に段階はないということについてですが、自分自身が真実信心を獲得するという点において、段階はありません。第三者からみれば、心境の変化などによって、「前とは違う」とか「以前より熱心に聞法するようになった」などということはあると思います。

なぜ自分自身の信仰に段階はないというのかというと、段階を設けると、「その段階を通過していないと」助からないということになってしまいます。そうなると、一念の救いにはならないのです。

自分自身が信心獲得しようと思う人にとっては、「自分はいまこの段階」だということは、関係ありません。救いまで3段階あるとして、1段階から、2段階にあがったからということと、「2段階になったからよい」とは違います。あくまで「自身が信心獲得したかどうか」が問題になるのです。

まことにもって、人間は出ずる息は入るを待たぬならいなり。相構えて油断なく仏法を心に入れて、信心決定すべきものなり。(御文章2帖目5通・数珠)

蓮如上人は、人間は出る息は入る息を待たないはかない命であるから、油断なく仏法を心にいれて、信心決定しなさいといわれています。
「信仰の段階を進め」とも「求道せよ」でもありません、「信心決定せよ」と勧めておられます。これは、親鸞聖人も同じ事です。

「今救われたらそれでよい」ではなくて、「今救われなさい」と教えておられます。