安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

18願には「唯除五逆誹謗正法」とありますが、これもどんな人も助けるということであり罪を問題にせよという意味ではないだろうなと思います。(Kさんのコメント)

Kさんのコメントについて改めてエントリーを書きます。

18願には「唯除五逆誹謗正法」とありますが、これもどんな人も助けるということであり罪を問題にせよという意味ではないだろうなと思います。このことについてご解説いただけると有難いです。(Kさんのコメント)

「唯除五逆誹謗正法」については、親鸞聖人が尊号真像銘文の中で解説をされています。

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。(尊号真像銘文・浄土真宗聖典(註釈版)P644)

ここで、最初に「五逆のつみびとをきらひ、謗法のおもきとがをしらせんとなり」と言われています。阿弥陀仏は「唯除」ということで、五逆罪、謗法罪がどれほど恐ろしい罪であるかを知らせようとされています。

そのように言われる理由は、阿弥陀如来は五逆罪謗法罪のものも救ってくださいますが、五逆罪謗法罪自体を許しておられるのではないからです。ですから、未だに五逆罪、謗法罪を造っていない者に対して「ただ除く」ということで、私達に罪を造らせないという大慈悲から言われたお言葉だと分かります。
人間の親子でも、友人でも「もしそんな恐ろしい罪を造ったら縁を切るぞ」というのは、「相手を威嚇したり恐怖に陥れる」ためではありません。本当に相手のことを思っているならば、それは「絶対にあなたに恐ろしい罪を造って欲しくないし、造らせない」という相手を罪から護ろうという心です。

しかし、已に五逆罪謗法罪を造った人や、また今も造り続けている人に対しては、「このふたつの罪のおもきことをしめして、十方の一切の衆生みなもれず往生すべし」と言われています。これは、罪の重いことを知らせて、廻心懺悔させ本願を聞くものに導いて全ての人を救うといわれたお言葉です。決して、已に造った人は、「罪人だから嫌いだ」「言うことを聞かないものはもう助けない」と言われるのではありません。

最初に「逆のつみびとをきらひ、謗法のおもきとがをしらせんとなり」とあるように、已に五逆罪、謗法罪を造っている者をなお哀れに思われて、それを「重き咎を知らせん」とされているのが阿弥陀仏です。また、それを「重き咎」と知る人は、已に法を聞いている人です。
特に謗法罪は、そもそも仏も仏の法も、浄土も認めない人だからです。

問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。(教行信証信巻末-明所被機-曇鸞「浄土論註」引文・浄土真宗聖典(註釈版)P298)

http://2g3.wb.sl.pt

そのため、その少し前にも

また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。(同上・P297)

http://2g3.wz.sl.pt

と言われています。
「仏も菩薩もないからその法もないと言っている人が、どうして浄土に生まれたいという願いを起こすことがあるでしょうか?」
ということです。

仏法を全く聞く気のない人、また逆に仏法そのものを誹謗する人も、阿弥陀如来は決して見捨てられず、その罪が恐ろしいことを知らせようと働いておられるということです。その罪が恐ろしいと知る人は、すでに法を聞いている人になります。

すでに本願を聞き救われようと思う心の起きた人は、それだけ謗法罪の恐ろしさも知っているわけです。しかし、高森顕徹会長は「その知り方はまだあまい。もっと徹底して自己を見つめよ。罪悪を突き詰めよ」と言います。それが、前々回のエントリーで取り上げた12月18日の二千畳座談会の内容です。

少なくとも、親鸞会館にわざわざ出かけて話を聞こうという人は、阿弥陀仏の浄土に往生したいと思っているはずです。そんな人に対して、阿弥陀仏が「唯除」と言われるのは、「決してそんな罪を造ってはならない」と、私達に罪を造らせないようにと大慈悲でよびかけられているお言葉です。また、現在は本願を聞こうという心が起きている人で、過去に五逆罪、謗法罪を造った人に対しては、「どんな罪を造ったものでも必ず救うぞ。もう造ってはならないぞ」とよびかけられています。
「唯除五逆誹謗正法」は、現在仏法を聞いている人も、聞く気がない人も、誹謗している人ももらさず救う大慈悲から仰ったお言葉です。

実際、五逆罪謗法罪を造った自覚のある人に対して、「そんなものは救わないぞ」とか、「もっと突き詰めよ」と仰ったものではありません。仮にそれで苦しんでいる人があれば、「そんなものでも必ず救う」と呼びかけられているのです。

阿弥陀仏に対する罪に囚われている人は、すでに本願を聞いている人なのですから、それ以上罪を問題にする必要はありません。ただ今救うといわれる本願を聞いて、ただ今すくわれてください。