安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

親鸞会講師部員の「大リーグボール1号当てられ信心」と会員の「宿善ポイント福引信心」について

前回のエントリーで、野球についての譬え話を書いたところ、読まれた方から別の譬え話を教えて頂きました。
親鸞会講師部・親友部・幹部が考えている「信心」についてよく当てはまっていると思ったので紹介します。

特に親鸞会講師部員に多い「大リーグボール1号当てられ信心」

大リーグボール1号とは、テレビアニメにもなった漫画「巨人の星」で、主人公の星飛雄馬が投げる魔球のことです。
巨人の星をご存知ない方は、こちらを御覧ください。http://www.kanshin.com/keyword/79749
星飛雄馬が編み出した大リーグボール1号は、バッターのバットを狙って投げ、ゴロに打ち取るというものです。星投手は激しい特訓の結果、バッターの動きを予測して、バッターがどこにバットを動かしても必ずボールをバットに当ててゴロに打ち取ることができるようになりました。

参考動画

親鸞会講師部員が考える「阿弥陀仏の救いは無条件」というのは、この大リーグボールにうちとられるバッターのようなものです。バッターボックスに一度立ったなら、どのようにバットを構えようとも100%大リーグボール1号は、バットをめがけて飛んできます。バッターは、何もしなくてもボールが一方的にぶつかってくるように、南無阿弥陀仏が私めがけて飛んでくると思っています。


半分当たっているような考えですが、この巨人の星で大リーグボールが出てくるのはプロ野球のマウンドです。したがって、大リーグボールが投げられるバッターボックスに立つのは、誰でも立つことはできません。まずプロ野球の球団に入らなければなりません。入団しても、2軍では、星飛雄馬の立つ1軍の試合に出ることはできません。懸命に練習をし、1軍に入り、星投手の登板する試合でバッターとして打席に立たねば、大リーグボールに打ち取られることもありません。
親鸞会の講師部員は、「思い込んだら試練の道を行くが学徒のど根性」という気持ちで、随行者になったり、学院に入り、講師部員となり、血の汗流せ涙を拭くなと活動をしていなければ、その場に立つことはできないと考えています。


私が親鸞会講師部員だったころを振り返っても、「ただいま救われる為の活動」というよりは、「どこかで救われる場にたどり着くまでの修行」というように感じていました。
1軍の打席に立つのは、遙か先のことで、しかも過去の講師部員で打席に立ったと言っている人は殆どいません。

阿弥陀仏の救いは無条件だが、そこに行くまでが難しいのだと考えて、救いは遥か先に考えています。打席に立つことは、夢のまた夢と考えているので、ただ今救われようという気持ちもありません。

親鸞会会員の「宿善ポイント福引き信心」

同じ方から教えていただいたものですが、親鸞会会員に多い考えだと思いますので紹介します。

「聴聞・お勤め・活動(人集め・お布施)」により、宿善ポイントを貯めていくと、福引きの引換券がもらえます。福引きですから、一回であたりを引く人はめったにありません。もし、たまたま当たりが出たらそれが信心決定という考え方です。


親鸞会は、「宿善が間に合って助かるのではない」と主張していますが、この喩えで言えば、「宿善ポイントで当たりがでるのではない」「引換券がもらえるのだ」と言っているようなものです。

多くの会員が、富山の会館に行ったり、地元のテレビ座談会や、ビデオ法話に行くのも、多くは「宿善ポイントカード」にポイントを貯めているような感覚です。なぜ貯めていくのかというと、貯めないと福引きに参加できないからです。例えば、大きな行事で施主になったり、会館建立に貢献をすると、一気に2回くらいは福引き券がもらえるような感覚ですが、当たりが相当少ないので、ハズレが出ても本気で怒る人はありません。


ガラガラと回る福引きのガラポンの中にあたりの玉が入っていると、係の人は盛んに進めますが、「本当に当たりが入っているか見せてくれ」と聞くと「それは回してみれば分かります」と言ってはばかりません。

商店街の福引きなら当たりは入っているかもしれませんが、親鸞会の福引きは私が子供の頃、夜店でやっていた福引きのようなものです。私が小学校の頃に、地元の行事に出ている夜店に行くと、くじ引きのお店がよく出ていました。1等は、当時人気のファミコンでした。夜店の目立つところに「1等:ファミリーコンピューター」とケースに入れて陳列されています。しかし、不思議ことに、そのケースの中のファミコンは日にやけてケースが少し色あせていました。子供心に「この店のくじに1等はないんだな」と思いました。それでも、ひょっとしたら当たるかもと思い、友達と何回か挑戦しましたが、多くはハズレで、たまに5等のシャボン玉セットが貰えるくらいでした。


親鸞会の「宿善ポイント福引き」は、この夜店と同じで1等は入っていません。昔当たりを引いた人があったかもしれませんが、今はどうにも1等は無いようです。夜店で言えば「1等:ファミコン」の箱はあっても中身がない状態です。どれだけポイントを貯めてくじを引いても、「恩徳報謝賞」や「真実開顕賞」といった賞状や、機関紙に写真付きで手紙や記事を掲載されるだけです。そして「また頑張ってポイントを貯めてクジを引いてください」と勧められます。


子供のころみた夜店の主人が「ぼうや惜しかったねー。また今度クジを引いたら当たるかもしれないよ」と、ニコニコ顔で私に話しかけていました。その夜店の主人が、どうにも高森会長と重なってしまいます。現在会員の方は、そんなところはすぐに離れて、阿弥陀仏の方に向いてください。

特別な苦しみに耐えた人や、たくさんのポイントを貯めて挑戦権を得た人でなければ、救わないという阿弥陀仏ではありません。私をただ今救ってくださるのが阿弥陀仏です。