安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「どうすれば浄土往生できるのか」という問題は阿弥陀仏の本願の上で解決済みといわれていますが(略)どうしても「その通り」とは聞けないのですが……(Peing質問箱に頂いた質問)

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Peing質問箱より

安心問答ノートの信罪福心についての中の2012-01-09のエントリーを見させていただきました。 | Peing -質問箱-
(※参照 信罪福心とは - 安心問答ノート

これについて、以下のように回答を書きました。

救われる為に私が何かをしなければ救いが完成しないということはありません。
「ただ今助ける法」を聞いて下さい。

これに加えて書きます。

阿弥陀仏の救いについては、「一体何をしたらいいの?」と考えてしまうと質問された方は書かれています。これについては、私も同じことを考えていたのでお気持ちはよく分かります。


しかし、私たちの生活していく上で「この問題について私は何をしたらいいのか」と考えた時に、「私にすることがある」ものと、「私にすることがない」問題があります。


前者について例えば、環境問題などは一人一人が「環境によいことを心がけて行動する」といったことがあります。
それに対して「私にすることがない」問題については、とても重い病気などがそれにあたります。昨年来流行している新型コロナウイルスに関しては、感染しても重症化しないまま治る人もありますが、治療方法が確立している病気の中には、医者にかからないとまず治らないものもあります。


そういう病気に実際かかった場合は「自分は一体何をしたらいいの?」と考える人はいません。それは「医者に診てもらう」以外に選択肢がないからです。そのように選択肢がないことが自明の場合は、あれこれ悩むことはなくなります。


生死を離れて、浄土往生し仏に成るということについては、「私にすることがない問題」です。そのようにみてとられて阿弥陀仏は本願を建てておられます。そのため、阿弥陀仏は私の手助けは一切必要ないように救って下さいますので、「私が○○しなければならない」ということはありません。

親鸞聖人のご和讃にも以下のように言われています。

(7)
生死の苦海ほとりなし
 ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける(高僧和讃・浄土真宗聖典註釈版P579)

https://bit.ly/3u7LaL7

「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」とありますように、「のせて」下さいます。


それは「その通りと聞いて」乗るのではなく、「乗せていただいたら、その通り」ということです。
この「乗」というのは、自分の力を使う必要がないということです。南無阿弥陀仏によって救われるので、私の力は必要ありません。


ただ今助ける本願を、聞いて疑い無いと聞いたら、本願は「その通り」となります。「その通り」となろうとするのではなく、助ける法を聞いて下さい。