まつださんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
まつだ 2016/03/19 03:53
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20091207/1260192976#c1458327207
初見ですいません。1つお尋ねしたいのですが、
すでにこの道あり。必ず可度すべし。 とはどういう意味なのでしょうか?
お尋ねの内容は、二河白道の譬えで、
すなはちみづから思念すらく、〈われいま回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、われ寧くこの道を尋ねて前に向かひて去かん。すでにこの道あり、かならず可度すべし〉と。
http://goo.gl/NFds0C
(二河白道の譬え 教行証文類信巻より)
の「すでにこの道あり、かならず可度すべし」の意味についてです。
二河白道の譬えでは、火の河と水の河の間に四五寸のいわれた白い道があります。「この道」というのは、その白道のことです。その河岸に立った人に向かって、後ろから群賊悪獣がやってきます。後ろから迫ってくる群賊悪獣がいるので、そこから引き返すと死んでしまいます。また、留まっていても死んでしまいます。また、白い道を進もうにもとても渡れなさそうなので、死んでしまうだろうと、この人は思います。
しかし、そこでその人は、どの道死んでしまうなら、この道(白道)を行こう、きっと渡れるに違いないと考えました。これが「すでにこの道あり、かならず可度すべし」の意味です。
その後結果として、この人は白道に一歩足を踏み入れるのですが、それは、東の岸の方の勧める声と、西の岸から喚ぶ方の声に従ったからです。
この念をなすとき、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く、〈きみただ決定してこの道を尋ねて行け。かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん〉と。
http://goo.gl/NFds0C
また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉と。(同上)
東の岸の方は、「そうだまっすぐこの道を行きなさい。決して死ぬことはないから。もし留まっていてたらそれこそ死ぬぞ」と勧めます。
西の岸の方は、「一心にためらうことなくこの道を来なさい、私が護るから恐れるな」と喚ばれます。
この世から、浄土へ渡す道が白道であり。これは、阿弥陀仏が護り、お釈迦さまが勧められる他力信心をたとえられたものです。私から見ると、煩悩に心を占められて、とてもか細く見える他力信心であっても、それが煩悩や他人の意見によって崩れるようなものではないということを譬えられたものです。
浄土へ来れと呼ぶ声の通りに従った相が、白道に乗ったことであり、信心獲得の相です。「ただちに来たれ」の仰せを聞いて、ただちに救われて下さい。