安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「続けて仏法聴聞しておりますが、未だに後生が苦になるわけでもなく、こんなことでいいのだろうかと考えています。いつになったら真剣に聞こうという気持ちになれるのでしょうか?」(頂いた質問)

「続けて仏法聴聞しておりますが、未だに後生が苦になるわけでもなく、こんなことでいいのだろうかと考えています。いつになったら真剣に聞こうという気持ちになれるのでしょうか?」(頂いた質問)

中々後生が苦になりませんというお尋ねです。今迄も、同じような質問を頂いたこともありましたが、改めて自分自身を振り返って考えて見ました。

後生が苦になることがありますか?

私は以前、「後生が苦になって夜も眠れないくらいになったら、信心決定は近い」と聞かされていました。また、「仏法は後生の一大事を知るところから始まり、その解決に終わる」とも聞いていました。ここで言う「後生」とか「後生の一大事」というのは、「今晩死ぬかも知れないこと」であり「死んだ地獄に堕ちて苦しむ一大事」のことでした。

そこで当時の私は「そんな一大事があるのか!それならば真剣に聞かねば成らない」と本気で思っていたかといえば、決してそうではありません。むしろ「そんな後生といわれても、なんともピンとこない」という感じでした。あるいは「聞いて行けばそんな心境になるのか」「そうなるまで真剣に聞かねば」というのが正直なところでした。その意味から言えば、私にとっては「後生の一大事を知る」ことがないので、「君はまだ仏法が始まっていない」と言われれば、スタート地点に立つべく真剣になろうと思っていたのですから「その通りで御座います」というより他はない状態でした。

後生が苦になってない韋提希夫人

では、後生が苦にならない人は、本当に阿弥陀仏の本願が聞けないのでしょうか?また、「後生が苦になって」仏法を聞き始めた人ばかりでもないと思います。その一例として、観無量寿経に説かれている韋提希夫人は、「後生が苦になって」浄土を欣ったわけではありません。「今いるところが厭になって」浄土に往生したいという心を起こしたのです。




以下は、我が子阿闍世によって牢屋に入れられた韋提希夫人が、お釈迦さまに対して言った言葉です。

「世尊、われむかし、なんの罪ありてかこの悪子を生ずる。世尊また、なんらの因縁ましましてか、提婆達多とともに眷属たる。
 やや、願はくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。われまさに往生すべし。閻浮提の濁悪の世をば楽はざるなり。この濁悪の処は地獄・餓鬼・畜生盈満し、不善の聚多し。願はくは、われ未来に悪の声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かひて五体を地に投げて哀れみを求めて懺悔す。やや、願はくは仏日、われに教へて清浄業処を観ぜしめたまへ」(現代文)
「 世尊、わたしはこれまで何の罪があって、このような悪い子を生んだのでしょうか。世尊もどういった因縁があって、あのような提婆達多と親族でいらしゃるのでしょうか。
 どうか世尊、わたしのために憂いも悩みもない世界をお教えください。わたしはそのような世界に生れたいと思います。この濁りきった悪い世界にはもういたいとは思いません。この世界は地獄や餓鬼や畜生のものが満ちあふれ、善くないものたちが多すぎます。わたしはもう二度とこんな悪人の言葉を聞いたり、その姿を見たりしたくありません。今世尊の前に、このように身を投げ出して礼拝し、哀れみを求めて懺悔いたします。どうか世の光でいらっしゃる世尊、このわたしに清らかな世界をお見せください」 

http://goo.gl/rTbNpi

ここで韋提希夫人は「この濁悪の処は地獄・餓鬼・畜生盈満し、不善の聚多し」と言っています。今自分が居るこの場所は、とても厭な処であるとして、そんな厭なところを離れて、清らかな世界を見せて下さいとお釈迦さまにお願いをしています。

つまり、「後生が苦になって」お釈迦さまに救いを求めたのではなく、「いまの世界が厭になって」救いを求めたのです。

振り返って見ると、自分が仏法を聞いてみようと思ったのは、特別死を意識したことがなかったものの、この世界にいることについてのなんとも言えない居心地の悪さからでした。「なぜ生きる」と考えたこともないものの、なんとなく拠り処のない感じはずっとありました。別の言い方をすると、世界と自分がうまくいっていなかったのです。それが人によっては、家族であったり、会社であったり、友人であったり、ご近所になるのでしょうが、それらと自分はうまくいっていないと感じる人は多いのではないかと思います。

後生が苦にならなくても聞けます。

もともと阿弥陀仏の本願は、自ら生死を離れることが出来ない私に対して、浄土を用意されそこに往生させるために建てられたものです。この世界とうまくいっていないからと言って、どこにも逃げ場のない私に「浄土に生まれさせる」と呼びかけられるのが南無阿弥陀仏です。そこには「後生が苦になったあなたに」という、「 」つきの条件はありません。

ただ今救うの本願にただ今救われて下さい。